奄美振興の功績振り返る 東京で故右田夫妻しのぶ会 「島さばくり」の生みの親
「島さばくり」という言葉の生みの親とされ、関東在住の奄美群島出身者たちと共に奄美の振興に尽力した奄美市出身の故右田昭進さんと妻の和子さんをしのぶ会が11日、東京都品川区の日本民謡会館で開かれた。親類のほか、友人や知人、関係者ら約60人が参加して、島への熱い思いが絶えなかった夫妻とのそれぞれの出会いを語り合った。 右田さんは1929(昭和4)年10月、旧名瀬市芦花部生まれ。米軍統治下に密航船で上京し、中央大学法学部で学んだ。南海日日新聞の東京通信員や琉球新報東京支局の記者などを経て、自動車部品メーカーの高田工業で常務、専務などを歴任。在京の郷土関係団体の役員として復帰運動や文化振興などに奔走した。 2000年には東京奄美会の100周年を記念して関東で活躍する島出身者たちの人物誌「奄美(しまんちゅ)の群像 島さばくりⅡ」(交文社)を出版し、出身者たちが島の復帰や振興を本土から支えてきた歴史を明るみにした。13年には第37回南海文化賞を受賞。和子さんは22年12月に87歳で、昭進さんは23年8月に94歳で亡くなった。 しのぶ会は友人や知人ら有志で開催。昭進さんが初代会長を務めた、沖縄と奄美に伝承される民族舞踊を演じる舞踊集団「伊是名の会」が「長朝花節」や「綾はぶら」など奄美のシマ唄をベースにした舞踊を華麗に披露。脇田真由美さん、福山利光さん、田辺博文さんの3人がシマ唄の「行きゅんにゃかな節」などを厳かに歌った。 親交のあった元名瀬会会長の徳岡辰寛さんはあいさつで、「島さばくりは昭進兄(あに)の造語だった。学生時代から奄美会の名簿作りを始め、長年にわたり会の運営に携わってきた。自宅には奄美関係のスクラップブックがたくさんあり、新聞記事や資料を見せて事実関係を整理しながら、いろいろな提案をしていた」と往年の思い出などを語り、「みんなが『昭進兄、昭進兄』と呼ぶのは、みんなの大切なお兄さんだったからだと思う」と、多くの人から親しまれ仲睦まじかった夫妻の在りし日に思いをはせた。