『光る君へ』で話題、藤原道長の若き日の失敗、それを活かせるひとつの方法
■ 失敗体験が多いことが「優れた経営者」なのか 例えば、父・兼家が関白・藤原頼忠の子・公任の才を「我が子たちは(公任に)遠く及ばない。その影さえ踏むことができない」と嘆息した時などは・・・道隆と道兼は恥ずかしそうにして無言でした。ところが、道長は「影など踏まず、面(顔)を踏んでやる」と意気盛んだったとのこと。道長は公任と同い年でしたので、兄たちよりも対抗心を燃やしたのでしょう。この逸話が史実とするならば、負けん気の強さが窺えます。 また、次のような話も伝わっています。梅雨も過ぎた雨の降る夜のこと。花山天皇は清涼殿の殿上の間において、殿上人と雑談をしておられました。「このような気味の悪い夜には、人気のないところには1人で行けないだろう」と天皇が仰ったことに殆どの者は同感しますが、道長のみが「どこへでも参りましょう」と反論。道隆・道兼・道長の3兄弟が肝試しのような形で、深夜の宮殿を巡ることになります。道隆と道兼は出発したは良いものの、途中で怖くなり、逃げ帰ってくるのです。 ところが道長のみは、大極殿まで行き、戻ってきたのでした。しかもその証拠として、柱の一部を削り取って来るという用意周到さ。これまたこの逸話が史実ならば、道長の勇気と強かさが垣間見えます。これらの逸話は、どこまで真の道長像を伝えたものかは分かりませんが、筆者は若い頃の道長は、これくらい豪胆で血気盛んだったように思われます。 永延2年(988)12月のこと。道長は屈強な従者らを遣わし、式部少輔・橘淑信を捕縛。車に乗せず、徒歩にて、自身(道長)の邸宅に拉致したのです。淑信が何か凶悪なことをしでかした訳ではありません。淑信は式部省の試験官でした。道長は懇意にしている甘南備永資が試験に落第したことに不満を持ち、淑信を拉致。試験結果を改竄するように迫ったと言います。これは、道長と同時代人の公卿・藤原実資の日記『小右記』に記されていることですので、史実であります。 道長の犯行を聞いて「天下の人、嘆」いたと言います。血気盛んと言えば、言葉は良いですが、今回の道長の行為は、罪です。父である摂政・兼家も道長の行いを怒り「勘当」します。 優れたリーダー、経営者であっても、若い頃には「失敗」をしていたという話はよく聞きます。失敗体験が多いことが「優れた経営者の一つの傾向ではないだろうか」と述べる人もいる程です(Hello, Coaching! 編集部「失敗を活かす人になる」『Hello, Coaching! 』2016・6・1)。失敗を「自責」で捉えることで、よく反省し、次の機会に活かす。それが優れたリーダーの特徴ではないでしょうか。果たして、道長は「天下の人が嘆」いた不名誉な失敗を反省したでしょうか。 (主要参考・引用文献一覧) ・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007) ・繁田信一『殴り合う貴族たち』(KADOKAWA、2008) ・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
濱田 浩一郎