知っているようで知らない「眠っている脳と起きている脳」その「大きな違い」
私たちはなぜ眠り、起きるのか? 長い間、生物は「脳を休めるために眠る」と考えられてきたが、本当なのだろうか。 【写真】「脳がなくても眠る」って一体どういうこと!? 「脳をもたない生物ヒドラも眠る」という新発見で世界を驚かせた気鋭の研究者がはなつ極上のサイエンスミステリー『睡眠の起源』では、自身の経験と睡眠の生物学史を交えながら「睡眠と意識の謎」に迫っている。 (*本記事は金谷啓之『睡眠の起源』から抜粋・再編集したものです)
苦悩に満ちた脳波
今から100年ほど前、20世紀初頭、ハンス・ベルガーという偉大な科学者がいた。彼は精神医学に興味をもち、ドイツのイェーナ大学で脳の研究を行っていた。脳内の血液の流れや、温度の変化について調べていたのである。そんなベルガーは、人間の頭部の電気活動を測ることはできないだろうかと考えた。神経細胞は、電気的な活動をしている。それならば、脳の電気活動を、頭の表面からでも測れるのではないか──。 1924年、ベルガーはヒトの脳の電気活動を測定することに成功する。ベルガーはときに、自身の子どもたちを被験者にして熱心に計測をしていたという。彼はとても慎重な性格だった。計測された波形がノイズではないことを丁寧に証明しようとする。観察された波形は、本当に脳から発せられている電気信号なのか? 一連の研究成果は、1929年に論文として公開された。ヒトの脳の電気活動を初めて測定したという画期的な報告だった。一躍注目を集めるはずが、残念ながら彼の論文は、他の研究者から相手にされなかった。 彼の実験結果は、あまり信用されていなかったようだ。世界に先駆けた成果を発表するものの、一向に信じてもらえない。ベルガーはそんな苦悩を経験する。 そうした中、生理学者として有名だったケンブリッジ大学のエドガー・エイドリアンが、ベルガーの報告に目を留めた。そして、彼はベルガーの実験の追試を行った。エイドリアンはあるとき、頭に包帯を巻いた姿で、学会に登場した。1934年のことである。頭に電極を装着し、包帯でそれを固定していたのだ。頭から伸びるコードは、アンプとオシロスコープにつなげられていて、エイドリアンの脳波が、その場で映写されるしくみになっていた。 多くの聴衆が注目する中、ベルガーが論文中で報告したのと同じような波形が映し出された。ベルガーの報告は、本当だったのだ。ベルガーがヒトの脳波の計測に成功してから、10年後のことである。ベルガーは、ヒトの脳波を測定する前、イヌの脳波の測定も試みていたのだが、それからは30年ほどが経っていた。 エイドリアンの印象的な公開実験によって、ベルガーの功績はようやく讃えられるようになった。苦難を乗り越え、ようやく功績が認められたベルガーは、ノーベル生理学・医学賞へもノミネートされる。だが、なんと受賞を目前にして自ら命を絶ってしまう。自殺の原因は正確に分かっていないが、ノーベル賞は存命の人物に授与されるという決まりから、彼が受賞することはなかった。 エイドリアンの公開実験で映写された脳波は、私たちの直観とは異なる不思議な挙動を示し、それもまた話題になった。エイドリアンが目を閉じると、波の凹凸が大きくなるのだ。目を開けると、小さくなる。エイドリアンに暗算の問題が出題され、エイドリアンが深く考え込んでいると、波の凹凸がさらに小さくなって、まるで直線のようになった。どうやら脳を盛んにはたらかせると、脳波が平坦になるのだ。脳を動かすほど、脳波が静かになる。 じつは、ベルガーも、同じことに気がついていた。被験者が目を閉じた際に見られる、比較的凹凸の大きい脳波は、「ベルガーリズム」と呼ばれることがある。いったいどういうことなのだろう?