歌舞伎町を根城にして30年。「上海小吃」の看板店長が語る“刺激的”な街と味
夜のとばりが降りれば、虚無感の漂う閑散とした日中の表情とはうって変わり、街全体に毒々しくも鮮やかなネオンが咲き乱れ、喧騒と嬌声に包まれる。 ▶︎すべての写真を見る
そんな玉石混淆な街、新宿歌舞伎町のど真ん中に位置するのが、中国料理店「上海小吃(シャンハイシャオツウ)」だ。今にも崩れ落ちそうな雑居ビルの狭間、その路地裏で30年もの間、変わらずに営業をしている。
歌舞伎町のラーメンが「子供のころに食べた味」だった
店長のレイコさん(本名=朱玲)は、'94年の創業以来、ずっとお店に立ち続けている看板娘だ。 「中国で暮らしてきたけど、天安門事件(1989年)が起きて、将来が不安になって日本で働くことにしたの。同じタイミングで親戚も中国を離れたけど、みんなオーストラリアやアメリカへ移り住んで、日本は私だけ。 何で日本にしたかって? それは近かったら(笑)」(レイコさん、以下同)。
移住した当初は、大阪で日本語学校へ通いながらアルバイトするという生活だった。そんな中、上京した際に運命的な出会いを果たす。 「たまたま歌舞伎町に来たときにこのお店で食べたラーメンが、子供のころにお母さんが作ってくれた『高菜ソバ』とまったく同じ味だった。すごく感動して、ここで働きたいなって。従業員がみんな中国人だったし、色々都合が良かったね」。
店内に漂う異様な雰囲気は、土地柄に加え、蟻の巣のように複雑な間取りも要因のひとつ。 ちなみに、'98年に公開された映画『不夜城』は、歌舞伎町を舞台に上海マフィアが暗躍する裏社会が描かれているが、何を隠そう「上海小吃」が物語の舞台になっているのだ。こう聞くと、同店がいかに蠱惑的であるかがわかるだろう。
これについてレイコさんは、今立っている場所を指差しながら、あっけらかんと語る。 「最初は、この一角しかなかったよ。当時はお店で食事を提供するよりも、出前がメインだったから小さなスペースで十分だった。大久保の近辺に住んでる人とか飲食店、夜のお仕事をしているお店からもすごい電話がかかってきて」。