歌舞伎町を根城にして30年。「上海小吃」の看板店長が語る“刺激的”な街と味
「続けていくうちに、お店の隣にあった焼き鳥屋が空き家になったから、私が壁をぶち抜いて飲食スペースを作った。そうやって少しずつスペースが増えていったの。いまもそうだけど、ずっと『来年には取り壊しになる』って言われてきたけどね(笑)」。
サソリにクモ……珍味も並ぶが、リピートする人も続出!
さて、本題に入ろう。同店の魅力は、本場の上海料理が味わえるということ。上海の家庭料理はもちろん、サソリやクモ、ムカデといった珍品も味わえる。 「ここで食べたら、ほかの“中華”料理屋さんいけないよ! 味が全然ちがう」と、レイコさんも太鼓判を押す。
「上海に行かなくても、本場の上海料理が食べられるよ。うちは日本人の口に合わせて味を変えず、そのまま出しているから」。
「創業以来、厨房のコックは中国人ひとり。入れ替わるたびに味を継承するから、ずっと料理の味が変わらない。 だから、数年に1度とか、地方から来たお客さんからも『昔と(味が)変わらず美味しい』『ここじゃないと食べられない味』って言ってもらえるんだよね」。
「サソリ、クモ、ムカデ、セミ……上海に行かなくても、ここで食べられる。素材は中国から取り寄せているよ」。
歌舞伎町で生き抜く上海料理店は刺激的、でも温かい
ちなみに、「上海小吃」が誕生した1994年の歌舞伎町といえば、今よりも遥かに治安が悪く、危険度が高かった。 「もうひどかったよ(笑)!」と、レイコさんは目を大きく見開きながらいう。 「最初のころは、『青龍刀事件(1994年)』があったりして大変だったよ。ほかにも本当に危ないことだらけ。歌舞伎町がこんなに危ない街だって知っていたら、私ここで働いてないよ(笑)!」。 ことの詳細が気になり、突っ込もうとするも「だめだめ! 話したら私がどうなるかわからない! ドラマになっちゃうよ(笑)」と、豪快に笑いながら煙に巻く。
ともあれ、客とのたくさんの出会いがあり、交流が生まれ、ずっと続いていることが何よりうれしいという。 「例えば、学生時代にはじめて来た子が、会社員になって同僚を連れてきたり、今度はその同僚が恋人を連れてきて、そのあと結婚して、数年後に子供を連れて家族で来てくれたりして。 このお店が縁で生まれる関係は、すごくありがたい。久しぶりに会うと私も元気をもらえる。私にとってそういう人たちは、みんなが家族であり子供みたいなもの。お客さんのおかげで、このお店は支えられている。これからも、家族のようなお店であり続けたい」。 歌舞伎町のど真ん中にある中国料理店は、ほかのどのお店よりも刺激的で、何より温かいのだ。