美食の数々を味わいながら南仏に生きた画家に思いを馳せる――河村季里の生と死を思索する名随筆『旅と食卓』の誕生秘話
と南仏の街々を巡った旅の日々が綴られるなか、アヴィニョンでのパン窯焼きのハト、ゴルドの仔羊のロースト、カシのスープ・ド・ポワソン……。五感で旅を味わい尽くし、記憶を呼び起こし、生と死を思索する名随筆『旅と食卓』が刊行した。 著者の河村季里氏と角川春樹氏の対談で語られた誕生秘話をお届けする。
◆《第一部 「旅と食卓」執筆秘話》
――『旅と食卓』は「ランティエ」連載時から話題を集めていましたが、河村さんの執筆にはどのような経緯があったのでしょうか。 角川春樹(以下、角川) きっかけは、季里から旅のレポートを受け取ったことなんですよ。とても面白くてね、本にしたいと思った。だけど私の贔屓目もあるかもしれない。彼は長年の友人だから。出版するなら客観性を持たせなくてはと編集部でも読んでもらうと、全員が面白いと言った。それで話を持ち掛けた。でも、彼はうんと言わなくてね。 河村季里(以下、河村) そりゃそうでしょう。もともとは「ちょっと旅に行ってくるよ」「帰ってきたら話聞かせてくれ」、それだけだったんだから。四十日旅しているから、話そうと思えば二日でも三日でも喋ることはできるけど、話さなきゃいけないわけでもない。だけど言われたからね。一応、メモにでもしておくかと。だーっと書いて、知りたきゃこれ読んでと渡しただけのこと。それが面白かったから書けって言われても困るんですよ。 角川 メモといってもかなりの分量だった(笑)。大変だったと思うよ、あれを書き直すのは。しかし、初めて書くわけでもない。もう五十年くらい前になるか、私が小説を書かせたのは。 河村 初めて会ったのは僕が二十八か二十九歳の頃だね。 角川 角川書店時代に、新しい書き手を探していて紹介されたのが季里だった。私が編集者として関わったのは一冊だったが、それからしばらくして季里は小説から離れてしまった。四十年以上を経て再び書いてもらったが、この『旅と食卓』はとても新鮮だった。小説家ではない。エッセイストでもない。だけど、非常に教養の深い男が書き下ろしたエッセイという感じになっているんだね。もう六回読んでいるが、まったく飽きないよ。 河村 そんなに? 角川 飽きないね。読むたびに感じ入ることがある。「旅と食卓」というタイトルもそうだ。今回はパリと南仏の話だけれど、フランス語の「旅」という言葉は「食べる」から来ていると聞いたことがある。これを読むと「旅」と「食」が連動していて、二つは非常に深い関係にあると実感できる。 河村 本にも書いたけど、そのほかにも旅の語源の一つに「他火」がある。火は何かっていうと「食」。煮て食べること。焼いて食べること。つまり、旅っていうのは他所へ行って食べることでもあるんですよ。 角川 その「食べる」が入口で、訪れた土地土地の美味しそうな食が登場しているが、同時に書かれているサイドストーリーが良くてね。画家たちの生き様だね。モネに始まり、セザンヌ、シャガール、マティス等々。とりわけ、サン・レミ・ド・プロヴァンスを訪れた際のゴッホだ。『不穏な空の下のはてしない麦畑』を取り上げ、この絵画についての小林秀雄の言葉にも言及しながら、ゴッホの自殺について季里のコメントがついている。絵を描くことへの尋常じゃない執念と、そこにある思想や哲学も記していて、非常に引き込まれた。 河村 事前にテーマを決めていたわけではないけど、書くことによって自分が今思っていることや体の中にあるものが、どうしても出てくるんだと思う。まとめて読んでみると通底するものがあった。一つは老いの問題。もう一つは死の問題。画家を媒介にして、死のことを書いているんだ、ずーっと。自分の中にある死のテーマみたいなものを、画家の生き方に仮託してる部分がある。ゴッホは明快にそう。ゴッホは金色の麦畑そのものが死だと言ってる。プロヴァンスの光ってのはものすごく明るくて、その輝きこそが自分の死だと。例えるならそれは、三島由紀夫に通じるもののような気がする。ニヒリズムってのは、暗いものでも病んでるものでもなくて、ものすごく明るいんじゃないか、 あっけらかんとしたものじゃないかと僕は思うけど、そういうものがゴッホの中にある。それは惹かれるよね。 角川 聞きながら思い出したのが飯田蛇笏の俳句だよ。「芋の露連山影を正しうす」というのがあって、これは「サトイモの大きな葉についた朝露に連なる山々の姿が映っている」ということだ。影を映し出すわけだから、そこには光がある。光がないと影は生まれないから。光と影というのは実は一つで、光の中には初めから影が存在しているんだ。その光と影の、極端な象徴が生と死でもある。南仏の光の中に行くという行為も、やっぱり自分の持ってる影があるからなんだと思うね。 河村 まったくそうだろうね。ゴッホは生きようと思って描いているんだけど、最後の絵を描くとき、それはゴッホにとっては死でしかない。生きながら死んだ。ものすごく皮肉なことだけど。でも、まさに影は光で、光は影だ。 角川 それにしても面白いと思ったのは、画家がみな南仏に向かうことだよ。ルノワールもゴーギャンもね。しかもそこでは光に描かされているような気分になるわけだろう? 河村 光に唆されていたとも言えるだろうね。不思議な光ではあるけれど、画家を見てるとわかる。その光がどういうものかっていうのはね。 ――本には街角のパン屋さんから三ツ星のレストランまでさまざま登場していますが、角川社長の食指が動いたものはありましたか? 角川 パンはどれも旨そうだったね。それ以上に読んでいて痛烈に感じたのは、食に対する季里の貪欲さだ。食べるという行為への必死さが伝わってくるんだよ。 河村 卑しいんだよ。 角川 食とは出会いであり、一回一回が一期一会だということ。と同時に、「食べるとはどういうことか」を示すものでもある。季里がスーツを着て食べに行く店が出てくる。ドレスコードのある店ということもあるが、それは食に対する敬意なんだね。私もスーツにネクタイで行く。もちろん、どこでもそうだというわけではなく、くだけた店ならセーターだよ。 つまりね、食を味わうというのは、店も含めてなんだ。 料理人と料理、そして立地も含めた店という空間が揃わないと成立しないんだ。 河村 そう。ただ目の前にある食い物を口に入れるってだけじゃなくて、いろんな要素が一緒になった全部を味わうんだね。 角川 だから、この本でも風景が必ずセットになっているし、店の内部やサーブする人間のことも書いている。そうしたすべてを含めて書き手が味わい、感じている美味しさだからこそ、読み手にも伝わってくる。料理一品一品の感想はことさら丁寧に言葉を尽くしているから、猛烈にパン窯で焼いたハトを食べたくなったよ。 河村 結局ね、旅もそうなんだけど、食うってのは遊びなんだよね。だけど非常に重要な遊びでね。生きるためならば食うだけでいい。旨いかどうかは命を繋ぐために必要じゃない。でもそれじゃ、人間も面白くない。そこにはいろんなもんがなくてはね。美食ってのは、言うなれば悪い遊び。不良なんですよ。生涯不良は角川春樹のテーマだけどね(笑)。 角川 美食は悪の遊びだと言うけれど、贅沢も悪と取れるかどうかってことだ。私はB級好きだけれど、食べてる時は私にとって最高に贅沢なものだよ。 河村 つまり、感動したいんだよね。B級だろうとA級だろうと、 感動させてくれないのはだめ。感動するために行くわけだから。安いから蔑ろにしていいってもんじゃない。食うってことを蔑ろにしちゃいけない。 角川 その通りだ。それにしても生涯不良と聞くと若い頃を思い出すよ。本の最後はパリで、ウディ・アレンが撮った『ミッドナイト・イン・パリ』の話題になる。彼は登場人物に「 過去は偉大なカリスマ」って言わせるけれど、これはすごい言葉だなと思った。映画では文化の拠点だった一九二〇年代のパリがいかに魅力的だったかを訴えているが、それは人にも言えることだ。若い頃を振り返ると、自分を主人公としたカリスマになっているんだね。私の人生でも過去はカリスマだと言える。編集者として厳しかったし、眼光も鋭かったから、ほとんどの人間は私に会うとビビるんだよ(笑)。 河村 あの頃は圧も強かったよな。僕にとっても、過去の最大のカリスマのひとつは春樹さんとの出会いですよ。そこから始まって今に続いている。この本が出来たのは、そういうことなんだろうね。 角川 私と河村季里の長い歳月の、表には出てこない歴史が一冊になったとも言えるだろうね。