死んだ兄の不倫相手に激しい恋も 平安時代の“恋の作法”は男と女が「燃え度」を伝え合う?
世界最古の長編小説として知られる『源氏物語』。そこには多くの恋愛が綴られ、当時の恋愛観が緻密に描写されている。平安文学研究者・山本淳子氏の著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集し、恋愛における平安時代の習慣を紹介する。 【写真】紫式部の絵をもっと見る * * * ■恋の“燃え度”を確かめ合う、後朝(きぬぎぬ)の文 「きぬぎぬ」とは、「衣衣」のことだ。愛の一夜を共に過ごした男と女の、めいめいの衣をいう。褥にいる間、衣は二人の体を覆っている。だが愛の時間が終われば、二人はまたそれぞれに衣をまとう。だから「きぬぎぬ」は、逢瀬(おうせ)の翌朝、二人きりの時間の終わる時をも指すことになった。 「しののめのほがらほがらと明け行けばおのが衣衣なるぞ悲しき(東の空が晴れやかに明けてゆくと、もうそれぞれの衣を着る時間だ、悲しいこと)」という和歌がある(『古今和歌集』恋三詠み人知らず)。「ほがら」は現代語では明朗な性格をいうが、古語では晴れ渡った空の明るさをいう。この歌の作者は、おそらく男だろう。いまだ恋の名残を残した心は別れの悲しみに曇るのに、空はどんどん明るさを増す。あまり明るくなっては、女のもとを去るのに人目について恥ずかしい。つれない空に泣きたいような気持ちなのだ。 この「きぬぎぬ」の時間に相手におくる恋文が「後朝の文」。現代のカップルの、デート終了後に交わすメールとよく似ている。駅で手を振って別れたら、電車に乗る前にもうメール。ラブラブな二人なら当然ですよね。平安時代も全く同じで、後朝の文が早く来るのは恋心の強さの証拠。男たちは女と別れて家路につくや否や、その道中からもう和歌を考え始める。恋とは結構忙しいものでもあるのだ。
『源氏物語』と同時代の『和泉式部(いずみしきぶ)日記』は、歌人和泉式部と敦道親王(あつみちしんのう)の恋の経緯を描く作品だ。二人の交わした和歌をふんだんに織り交ぜながら、大人同士の恋を綴る。二人にはそれぞれ夫と妻がいる。加えて和泉式部は、親王の死んだ兄ともかつて所謂(いわゆる)不倫関係にあった「恋多き女」である。敦道親王はもとより高い身分に加え、次期皇太子とも噂される政治的局面にあって、それでも、見事な歌才を持つ彼女に強く惹かれてしまう。 初めて契った翌朝、彼は帰宅後即座に文をおくった。「今こうしている間も、君がどうしているか気にかかる。不思議なほど恋しい」。彼が詠んだ歌は 《恋といへば世の常のとや思ふらん今朝の心は類ひだに無し(恋と言えば、あなたはどこにでもあるものとお思いでしょう。でも僕の今朝の想いは、他のどんな恋とも比べ物にならないものなのです)》 親王は和泉式部より少し年下で、恋に慣れていない。それでも彼女のこれまで体験した恋とこの恋とを、天秤にかけてほしくない。少なくとも自分にとっては、どんな恋より激しい恋なのだ。これに和泉式部が返したのが次の歌だ。 《世の常のことともさらに思ほえず初めてものを思ふ朝は(どこにでもあるものだなんて、絶対に思えませんわ。こんな気持ちは今までなかったこと。初めてここまで恋に悩む、今朝なのです)》 恋多き女に正面から挑む男、「これこそ初めての恋」と受けて立つ女。危うい恋と知りつつ踏み出す、真剣勝負の後朝の贈答だ。