「万引きがやめられなかった」父から卓球のスパルタ教育を受け自暴自棄になりかけた女性「今は虐待から逃げた人と共に生きる日々」
虐待などの理由から児童養護施設や里親のもとで育ち、満18歳でひとり暮らしを余儀なくされた人たちと関わる「ゆずりは」。所長の高橋亜美さん自身、小学生のときに父親から支配的な卓球の指導を受け、学校でストレスを爆発させていたと話します。(全3回中の1回) 【写真】「このときはまだ幸せだった」鬼コーチと化した父の地獄の卓球特訓に耐える前の高橋亜美さん ほか(全14枚)
■運動が苦手なのに卓球の練習を強制されて ── 子どものころ、お父さまから厳しい卓球の指導を受けていたそうですね。 高橋さん:はい。実家は、父、母、3つ上の兄と3つ下の妹の4人で、ごく一般的な家庭で育ちました。両親は教育熱心なタイプというわけでもなく、自由にさせてくれたと思います。
それが、小学3年のとき、父の熱血指導で卓球を始めてから生活が大きく変わりました。父は学生のころ、卓球の選手を目指して練習に心血注いでいたらしく、自分の子には小学3年ごろから卓球をやらせたいと思っていたようです。でも、私はとにかく運動がキライで。卓球なんて興味もないし、全然やりたくなかったんです。 そうやって父との卓球が始まったのですが、小学4年の冬ごろになると父の指導がエスカレートしていきました。平日は、学校から帰ったら夕飯を食べて、午後5時くらいから卓球の練習が始まるのですが、遅いときは深夜12時くらいまで毎日練習。そのうち私は、父に反抗的な態度をとるようになっていきました。兄は野球をしていたので卓球はやらず、私と妹が卓球をしていたのですが、妹は要領がよく素質もあって上達が早かったんです。でも、私は上達が遅かった。反抗的な態度をやめなかったこともあって、父は私にだけどんどん厳しくしていきました。
■普段は優しい父親が卓球のときだけ支配的に ── お父さまは、卓球の練習のときだけ、そんなに厳しかったのでしょうか。 高橋さん:そうなんです。普段の父はすごく優しい人でした。それなのに、卓球になると支配的になって、私はいつも身も心もぎゅっと締めつけられるような息苦しさを感じていました。苦しくて、違和感ばかりで、「どうして私がやらなきゃいけないの」と、よく練習中にふてくされていました。 そのうち、父から殴られたり、「なんだその態度は!座ってろ!」と2時間くらい正座をさせられたりすることも増えて。父の厳しい指導はエスカレートするいっぽうで、小学5年の1年間は、卓球の練習時間よりも怒られている時間のほうが長いほどでした。