"可愛い義足”でメダルを…陸上と絵本作家の二刀流・前川楓がパリパラへ 苦しみ変えたトップ選手との2カ月
■陸上と出会い2年でパラ出場もその後は「死にたいと思う毎日」
前川選手は2012年、愛犬のくうちゃんの散歩中に事故に遭い、右足の太腿から下を失いました。
前川選手(2016年): 「お母さんがずっと泊まりで病室にいてくれていたんですけど、2人で毎日毎日泣いて。でも『いつか笑える日が来るよ』って毎日励ましあって」 大好きなバンド『SEKAI NO OWARI』のライブでジャンプしたいという夢を叶えるために、前川選手は義足でのリハビリに励むなど、努力を続けていましたが15歳の時、陸上と出会います。
前川選手(2016年): 「(初めて出た大会は)100mがあっという間で『もう終わってしまった』という感じで、しかもすっごい楽しくて。走るのってこんな楽しかったっけって」
陸上を始めてわずか2年で出場したリオパラリンピックでは幅跳びで4位に。しかし、それから苦しい日々が始まりました。
前川選手: 「メダルを取るにはどうしたらいいのかっていうので、やりたいことを全部我慢したりとか、『陸上を人生にしないといけないんだ』ってすごい思っちゃって。完全に心が病んじゃって、本当に死にたいって思う毎日で」 医師と相談しながら陸上を続け、東京パラリンピックでは幅跳びで5位入賞を果たしました。
前川選手: 「心から楽しめたとは言えない。でも楽しんでいる様子は見せたいから、ちょっと楽しんでいる自分を演じていた部分もあった」
■陸上は「人生を豊かにするために」…苦しみから救ったトップ選手の言葉
東京パラリンピックの後、たったひとりでイタリアへ。同じクラスのトップ、マルティナ・カイローニ選手のもとで約2カ月、ともに練習をしました。そこで大切な経験をしたといいます。
前川選手: 「一緒にご飯食べたりとか、練習したりとか、試合に行ったりとかしている中で、カヌーを漕ぎに行ったんですよ。マルティナが『私にとって陸上はイコール人生ではなくて、人生を豊かにするために、人生を楽しむために陸上をやっているんだ』っていう風に言ってくれて。すごいその言葉が今でも自分の宝物になっている」