【アイスホッケー】愛知で小学生日本一。大学で「キャプテン」を戦った3人。
「このままホッケーをやめるのは嫌だ。 僕は替えのきかない選手になりたい」(袴田)
大東のキャプテン・袴田平は、対照的な春と秋のシーズンを過ごした。 「春の秩父宮杯は5位。大東にとって5位は46年ぶりだったと学校の人に聞きました。よし、秋リーグはベスト4を目指していこう。そう思ったんです」 ところが、夏合宿の途中で靭帯を痛めてしまった。全治2カ月。しかし、袴田はそれよりも前に復帰した。なぜなら、大東が秋のリーグ戦で1回も勝てなかったからだ。 「テーピングでグルグル巻きにして、日大との試合に出たんです。そうしたら3-2で勝つことができた(袴田は2ゴール)。日体大との試合も延長戦で負けたけど(同じく1ゴール)、勝ち点1をとることができたんです。よし、ファーストリーグ最後の試合の早稲田戦に勝てば、1部のセカンドリーグに残ることができる。(棚橋)俊太のことは、考える余裕がなかったです。後輩たちに、1部Aでプレーさせてあげたい。早稲田に勝つことで、残留ができると思いました」 大東は、セカンドリーグで3年生以下の5選手が、試合に出られないことがわかっていた。その早稲田戦は点の取り合いに。袴田はこの日2ゴールを決め、しかも58分、59分にチームが得点を取って同点に追いついた。しかし、PS戦は早稲田が7-6で勝利する。大東と早稲田が勝ち点5で並んだものの、「当該校の勝ち点」で早稲田が1部Aのセカンドリーグに進むことになった。大東はBの上位4校との順位決定戦に進むことになり、最下位の6位に。来季の1部Bへの降格が決まっている。 「4年生のこの時期に、なんで…いう気持ちにもなりました。でも、後悔は不思議とないんです。これも含めて、自分の人生だよなって。キャプテンとして、こういう経験をすることって珍しいと思います」 袴田は愛知の中学を出ると八戸工大一高に進んだ。大学は、最初は関西の大学を志望していた。「でも、関西に行くよりも、関東のほうがレベルが高くて面白いんじゃないかなって。それで大東を選んだんです。同期は3人しかいなくて、でも3人だからよかったこともある。大東はアンダー代表も1人もいませんが、だからこそいいんだと思います」 大学を出たら、地元へ戻ろう。袴田はそう決めている。そこで愛知のチームに入って、いつかトップリーグに出場したい。そんな希望を持っている。 「僕は、ホッケーが楽しくなかったらやめようと思っているんです。大学に入った当時は、学生ホッケーを完全燃焼して終わろうと思っていました。でも、こんな形でホッケーを終えてしまうのは嫌だなって。よし、まだやろう。続けよう。自分にしかできないことも、きっとある。僕はアイスホッケー選手として替えのきかない選手でありたいんです」 中日クラブの3人の「それから」のことを思った。 棚橋は大学に入るまで中日クラブに在籍して、中学時代はキャプテンを務めた。「俊太はホッケーに関しては熱い人間です。でも、ホッケー以外ではけっこうおもしろい人ですよ」。振津はそう言った。 振津は「とにかくアイスホッケーが好きなヤツです」と、袴田が教えてくれた。「ホッケーを好きになれたのは青瑚のおかげです。もし青瑚がいなかったら、僕はここまでホッケーをやっていなかったかもしれません」 袴田は「ストイックな男です」と棚橋は言った。「だけど正直、平がキャプテンをやるなんて、愛知にいたころには想像できなかったですけど」と笑った。 10年前に小学生の選手権大会で、彼らは日本一になった。そして今季、自ら選んだ大学で、キャプテンとして戦った。 袴田が言う「替えのきかない選手」に、もうすでに彼らはなっていたのではないか。一度きりの大学ホッケーで、3人は3人なりの青春像を描き、それを懸命に生きていたからだ。
山口真一