レイモンド・ローウィの名言「優れたインダストリアルデザインは、…」【本と名言365】
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。20世紀を代表するインダストリアル・デザイナーの一人、レイモンド・ローウィ。「口紅から機関車まで」という有名なキャッチフレーズで知られるように、幅広く工業製品を手がけ、アメリカ文化の担い手となった。彼の追求したデザイン哲学とは。 【フォトギャラリーを見る】 優れたインダストリアルデザインは、機能とデザインの融合により生まれる 工業製品が急速に日常生活に浸透し、都市を中心に産業化が進んだ20世紀アメリカ。しかし、その国力に比べてデザインの水準は低かった。そこで才能を発揮したのがフランス人デザイナーのレイモンド・ローウィである。第一次世界大戦後、アメリカに渡ったローウィは、1929年にイギリスのコピー機製造会社〈ゲステットナー〉の複写機を改良。それまで剥き出しだった機構部分にカバーを取り付け、足部分を垂直にすることで、オフィスで働く女性が衣服や手を汚さず、安全に使用できるようにした。すると、その機能的かつ美しいデザインで評判を呼び、商品は大きく売り上げを伸ばすこととなった。 その後手がけた工業製品は、ラッキーストライクやコカ・コーラのパッケージデザインといった身近なものから、流線型機関車、NASAの宇宙ステーションの一部まで、多岐にわたる。1938年には140社のデザイン・コンサルタントを務め、アメリカ市民権を取得。デザイナーとして成功を収めた彼は、名実ともに「アメリカン・ドリーム」の体現者となった。 ローウィが自身のプロダクトで重要視したのは、普遍的な美しさを発信し、工業製品として商品が売れること。消費者第一主義のもと、使いやすく美しい設計を追求し、「いかなるデザインも実用性および製作の可能性を徹底的に検討した上でなければ、レイモンド・ローウィ事務所から外部に出してはならない」というポリシーを掲げた。彼のプロセスは、一つのデザインを決定するためにクレイモデルを用いて何度もスタディを重ねる正統的で徹底したものであった。 機能性と審美性を兼ね備えたローウィのデザインは、単なる工業製品を超え、今もなお人々の生活に深く根付いている。確固たる哲学と揺るぎない信念に基づくローウィの言葉は、未来に向けたデザインの指針を示し続けているのだ。
レイモンド・ローウィ
1893年パリで生まれ。第一次世界大戦に従軍後、1919年にニューヨークへ移住。渡米後初の仕事はハーパース・バザー誌のファッション・イラストレーターであった。インダストリアル・デザイナーに転向後、1929年に手がけた〈ゲステットナー〉の複写機のデザインで大きな反響を呼ぶ。1934年、〈ペンシルヴァニア鉄道〉の電気機関車GG1をリデザインし、後のアール・デコ様式にも影響を与えた。1951年の来日以来、日本でもたばこ《ピース》のパッケージや、〈不二家〉のロゴマーク、〈アサヒビール〉のラベルを手がけ、戦後日本のデザインに重要な役割を果たした。1986年没。
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