アートもフェミニズムもわからない――「誰のもの?」という問いかけから紐解く。村上由鶴に聞く
アートとフェミニズムの「たこつぼ化」
―著書では、自分や仲間たちだけの世界に閉じこもり、仲間ではない人や他のトピックに目を向けない「たこつぼ化」という表現を用いて、アートとフェミニズムがそう見られがちであることに言及されていましたね。 村上:「たこつぼ化」に関しては、私がいつもそういうのが気になってしまうタイプで。いろんなものがそうなり得ると思う。例えば「映画好き」や「料理好き」にもあるだろうし、アートもそうだし、フェミニズムもそうです。 「たこつぼ化」によってその領域を深めていったり高めていったりすることがうまくいくなど、良い部分もあると思うのですが、一方でよそから入りにくくなっちゃったり、外から見て何をやってるかわかんなくなっちゃう。 それによって生じる問題もあると思っていて、「たこつぼ」のなかではすごく盛り上がってるけど、引いてみたら、その業界や分野そのものがシュリンクして、みんな興味が持てなくて、小さくなっていっちゃうことがありますよね。 ―著書では最後に、フックスの「わたしたちは内なる敵を変えなくてはならない」という言葉が引用されています。 村上:アートもフェミニズムもよいかたちで存続していくために「みんなのもの」にしていけるかということを、関わる人たちが考えていく必要があると思っています。少し立ち止まって「いま、これは誰のものになっている?」と省みるのが大事かな、と。 どちらも「みんなのもののほうがいいよね」って進んできていると思うのだけど、一方で、いろんな力が働いている領域なので囲い込む力みたいなものも存在する。アートを自分たちのものにしてしまおうとする力や、「頑張っていない人はフェミニストって呼びません」というような考え方とか。 そういう場所なので、あくまで私は「いま大丈夫そう?」みたいな――偏ってないですか、独り占めしていませんかと――そういうことをつねに考えていく必要があるんだと、伝えられるといいなと思います。
インタビュー・テキスト・撮影 by 今川彩香