いじめを受けたかが屋・賀屋が伝えた「学校に行きたくない」母親が連れて行ってくれたピクニック #今つらいあなたへ
「学生服を見たらできるだけ避けてしまう」今でも思い出すいじめられた記憶
――中学1年生の終わりから始まったいじめは、いつ頃まで続いたのでしょうか。 賀屋壮也: 高校進学を目前にして、だんだんと陰口を言われなくなっていった感じです。ただ、いじめが終わった後もしばらく引きずりました。女子が2~3人でひそひそ話をしていたら不安になりましたし、今でも電車の中で学生服を着た人を見かけたらちょっと避けてしまっている気がします。 一方で、「(当時の)子どもがやったことだしな」と思ったりもするんですよ。どうすれば良かったのかなっていうのは今も考えていますね。 ――いじめられなくなってからも、いじめられていた当時の感情を忘れることはないんですね。 賀屋壮也: 人格が形成されていく時期に経験したことは、なかなか消えない。高校に入ってから、僕に陰口を言っていた女子が「あの頃の私たちって若かったよね」と言ったことがあったんですよ。僕へのいじめをしなくなったことを彼女たちは“成長”と捉えている。僕の中ではまだ終わっていないことなのに、たまったもんじゃないなと。 いじめられた事実が変わらない以上、何を言われても腹は立つと思います。でも、「若かったね」という言葉を何気なく使っているように思えて、軽く扱われたような気がしたことが嫌だったのかもしれない。同じ言葉を使うにしても、せめて、その言葉にその人なりの実感は伴っていてほしいなという願いはありますね。
「学校がすべてじゃない」はもちろん正しい。だけど、伝え方の工夫が必要
――当時の賀屋さんが心の支えにしていたことがあれば、教えていただけますか。 賀屋壮也: 当時の僕が楽しみにしていたのが、近所のレンタルビデオショップに行くことだったんですよ。いろいろと借りた中でも、NHKの大河ドラマ『新選組!』(2004年放送)がすごくおもしろくて。次の週末に続きの巻を借りることにすごいエネルギーをもらっていました。 なので、当時の僕に会ったら、おすすめのマンガを教えてあげたいです。「『ワンピース』おもしろいよ、109巻まで出るから」って(笑)。「この作品の続きが見たい」と思うことが生きる原動力になると思うので。 ――当時の賀屋さんと同じようにつらい気持ちを抱えている皆さんには、どんなことを伝えたいですか。 賀屋壮也: 学校に行きたくない子たちには、「学校だけがすべてじゃないんだよ」と言ってしまいがちですよね。それはもちろん正しい。でも、アドバイスを受けて学校を休んだとしても「学校に行かなくて本当に良かったのかな」と悩んでしまう子もいる。伝え方の工夫が必要ですよね。 なので、僕はその子が情熱を注げるようなことをサポートしてあげられたら一番いいのかなと思います。そしたら、学校に向けられた意識は自ずと薄くなっていきます。やっぱり何か熱中するものとか「これを見てると幸せ」「これをやっているときだけは時間を忘れられる」といったものがあれば最高ですよね。