巨人電撃入閣の桑田氏が13年前に米国で語っていた「野球道と指導論」…「結果がすべてだがプロセス、努力がなければ」
実は、筆者は、13年前に雑誌の企画で2年目のメジャーに挑む桑田氏の米国フロリダ・ブラデントンのパイレーツキャンプに数日間、密着させてもらったことがある。 彼が借りていた立派なコンドミニアムで、ライ麦のパンにチーズとハムを挟み、マスタードとケチャップを塗った桑田氏お手製のサンドイッチランチをご馳走になりながら、今なお記憶に残る言葉をいくつか聞いた。 「自分で見て、感じて、やってみて、そして自分でルールを作るのが好きなんです」 桑田氏は自らの“流儀”を話してくれた。 社会問題にまで発展したドラフトを経てPL学園からプロの世界に入った桑田氏は、当時のプロ野球選手のスタンダードだった「タバコ」「ギャンブル」「酒」を一通り試してみたという。すべてを経験した上で「自分には合わない」と結論を出す。だから「周囲から変わっていると思われるんです」とも言った。流行は追わない。自分で体験しながら、いいと判断したものは、周囲の目は関係なく取り入れる。必然、タブーと言われるものに挑戦することとなりチームの内外から批判を浴び叩かれた。 ウエイト・トレーニングを始めると「なぜボールより重いものを持つ?」と言われ、サプリメントを飲むと「何を飲んでんだ?」と煙たがられ、アイシングと水泳を取り入れると「体を冷やすとはなんだ」といぶかしがられた。先発前日のノースロー調整もそうだった。桑田氏は、まだ理解されない時代の先駆者だった。 現役時代の美しいピッチングフォームは、無駄をはぶき「体の力をいかにリリースの瞬間に集約できるか」を求めた結果として行き着いた姿である。 好きな漢字は「道」だ。 「プロ野球は結果がすべての世界ですが、それだけを追うとむなしく感じます。そこに至るプロセス、努力がないとダメなんです」 PL学園の恩師、中村順司氏が色紙に書く「球道即、人道」という言葉をバイブルにした。 「野球を通じて人間力を磨かせてもらいました。その道を通じて、自分の力を高めて、人間力を大きくする。人生の8割は苦しい。そう思っていると、小さな幸せがうれしくなる」 それが桑田氏の哲学である。 「卑怯なことが嫌いなんです」。危険球まがいの投球をすることは拒否した。 自分が持っていた少年野球チームからは、試合中の「ヤジ」と「いじめ」を撲滅した。 野球人としての品格を求めた。 最先端の野球理論だけでなく、そこに芯のある人間の育成論まで持っているのだから、まさに指導者になるべく人生を歩んできたと言ってもいい。 メジャー挑戦から出戻った菅野から昨年ブレイクした戸郷まで…ベテランにも若手にも桑田氏の指導は間違いなく刺激や影響を与えるだろう。 13年前に筆者は桑田氏に最後にこんな質問を投げかけていた。 ――10年後の自分を想像できますか? 「どういう立場になっているか想像もつきません。監督やコーチといった指導者はなりたいと思ってなれるものではありませんからね。しかし、ひとつだけ言えることは、僕は後輩が少しでもいい環境で野球ができるように努力しているでしょう。僕の強みは野球界のあらゆることを経験していること。小、中、高と全国のトップに君臨した。ドラフトでは、17歳だった僕が犯罪者扱いされ、いろんな屈辱を味わってきました。でも、それがすべてプラスになる。日本の野球界への恩返しを“倍返し”でしたい。ユニホームを脱いだら勉強をしないとダメです。僕は人として、人間として、男としてどうあればいいかをいつも考えているんですが、大きくいえば、生きているんじゃない。生かされているんです。感動するために」 ついに桑田氏は野球界への恩返しを“倍返し”でするチャンスを得た。ゆえに「桑田氏が巨人を変える」との期待感が高まるのである。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)