「虐待の苦しみはずっと続く」父の虐待で「大学受験」も不可能に、すべてを失った生活保護受給男性の絶望
正社員で働くことも断念
一時期は社会復帰を目指して、生活保護を脱して就活した時期もあった。ただ、高卒かつ就労していない空白期間が長いことや、就活のストレスから精神的な疾患はさらに酷くなり、正社員として働くことも断念せざるを得なかった。 それ以降、村田さんは生活保護を受給するか、もしくは工場などでの非正規バイトで生計を立てている。メンタルの調子により、その時々の就労状況は変わるものの、学生時代に思い描いていた大学進学や、遺伝子研究をする夢は遠ざかる一方だ。 30歳となった現在は、都営住宅で暮らしている。現在の収入は平均で月13万円。家賃は2万25000円で、食費は1日1000円以下に抑え、慎ましく暮らしている。日々、派遣先の工場に向かい、仕事が終わると近所のスーパーに寄り、家で夕食を済ませると、ベッドでスマホをいじりながらぼんやりと一日を終える。 「いまも睡眠薬や抗うつ薬を飲んでいる副作用で倦怠感がありますし、精神疾患が治らない限り長期的な安定職に就くのは難しい。それに周りは大学進学や就活をしている一方で、自分は親のせいで将来を潰されたので、いまさら頑張って働こうという気も起きません。 むしろなんでこんな仕事を続けないといけないのかという憤りの方が大きいです。周りの同級生からしたら、就活で希望する会社を何社も受けるのでしょうが、自分にはその権利すらなく、非正規の生活を強いられている。そう考えると、中高生の同級生に会うのも気が引けますし、何事にもやる気がわかない。このまま変わり映えのない暮らしが続いていくのだと思います」
保護される子供は一握り
村田さんが22歳まで虐待を受けていたと考えると、あまりにもその期間は長く、そのぶん代償も大きい。 もし児童養護施設などに預けられ、早期に父から開放されていたと考えれば、村田さんの将来も変わっていたはずだ。現に、村田さんは幼少期から、学校や警察、児童相談所など、度重ねて助けを求めてきた。そうした声を蔑ろにしてきた行政にも、行きどころのない感情が湧く。 令和4年度のこども家庭庁の調査によれば、児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は、21万件を超えて過去最多を記録した。一方で、虐待された児童が一時保護される割合は約1割で、一時保護のあとは家庭に帰される割合も高い。少し遡るが、2017年の厚生労働省の報告では、児童養護施設などに入所したケースは、虐待相談対応件数のうちわずか3%。虐待が報告されても大半は、元の家庭や地域に戻っているという調査結果も出ている。 村田さんは警察に駆け込んで、一時保護所で保護された経験が7回ある。しかし、いずれも実家に帰る選択を迫られ、解決には至らなかった。もしこの時、父との関係が切れていれば、大学にも進学し、生活に困窮することもなかったかもしれない。 「一時保護所や子ども支援センターに駆け込み、父と私と職員の3人で面談した際に、職員が父に『子育ての悩みはありませんか?』とか、『お父様自身がつらいことはないですか?』と質問する光景をよく見ました。たしかに質問するぶんには不自然ではないのですが、そこで父が『実は息子と折り合いがつかなくて…』と話すと、職員も同情したのか、指導で済んでしまうケースばかりでした。 それで毎回、私が施設に保護されずに帰宅すると、父は酒を飲みながら私に暴力を振るってくる。甚だおかしいと思いますし、何より虐待を受けた子供の声を優先するのが常識ではないでしょうか。世間では子供が虐待死するニュースが絶えないですが、それはあくまでも氷山の一角で、私のように、その余波を受けてもがき苦しんでいる当事者はたくさんいるはず。この記事を読んで、虐待の被害や苦しみはずっと続いていくことを知ってほしいです」 村田さんが虐げられた22年間、そして現在もなおもがき続ける苦悩は、筆舌に尽くし難い。 筆者連載をもっと読む ■恐怖心から抵抗できず…兄からの性的虐待を受けた女性が「月1回」しか風呂に入らなくなった「切実な事情」 ■「自分が本当に虐待されているように錯覚して…」日本アカデミー賞最年少受賞の「天才子役」が芸能界を去った「本当の理由」
佐藤 隼秀(ライター)