「死んだらどうなるの?」末期がんの母に応えられなかった後悔――いまだに「葬れない」と感じてしまう「娘側の本音」とは【秋吉久美子×下重暁子】
看取ってから何十年もたつのに、いまだ「母と訣別(けつべつ)できていない」と語るのは、女優・秋吉久美子さん(70歳)と、作家・下重暁子さん(88歳)だ。このたび、昭和の時代から第一線で活躍してきた二人が「家族」について語り合う『母を葬(おく)る』(新潮新書)が刊行された。 【写真を見る】元NHK女子アナ 88歳とは思えない輝き!
「母が本当に死ぬのは、自分が死ぬ時」――、彼女たちがこのように語る真意とは。(以下「週刊新潮」11月28日号より転載)【全3回の第3回(第1回/第2回/第3回)】 ***
死におびえる母は少女のようだった
秋吉 母の期待を「裏切って」女優になった私ですが、もう一つの裏切りがありました。末期がんが見つかり余命いくばくもない母を心安らかに旅立たせてあげることができなかった。もう20年も前のことです。 下重 どういうことでしょう? 秋吉 死におびえる母は少女のようでした。 「体が焼かれてしまったら、何もなくなってしまうの?」 病室で二人きりになると、しきりに私に尋ねました。まるで私のほうが母親で、幼い娘にすがられているようでした。それなのに、うまく答えることができなかった。期待に応えられなかった。今でも自分を責め続けています。 下重 どんな言葉をかけたらお母さまを安心させてあげられたのかしら……。これはとっても難しい課題ですよ。 秋吉 母の死後、私はカソリックの洗礼を受けていますが、クリスチャンって死をロマンのように語るところがあるんです。 「あの星空の向こうに天国があるのかも」 「案内人が迎えにきてくれるまで、しばらく雲にこしかけて待っていましょうね」 こんな伝え方をすればきっと怖くないでしょう? キリスト教にこだわっているわけではないのです。一休さんでもアラビアン・ナイトでもなんでもいい、少しでも母の不安を和らげる話ができたらよかったのに……って。
亡くなったあとに気付いた「母の意志的な生き方」
下重 お気持ちは理解できますが、あんまり自分を追い詰めないでほしいな。 うちの母は心筋梗塞の発作を起こして救急車で運ばれ、意識がなくなってからはあっという間に亡くなりました。日頃から「暁子に面倒をかけたくない」と繰り返していたのですが、その言葉を守るようにして……。 実際、私は最期まで看病らしい看病ができませんでした。 秋吉 ご自身の言葉どおりに旅立たれた。武士のようなお母さまです。 下重 そのあとびっくりする出来事があったんです。実家で母の遺品を整理していたら、ベッドの枕元からなんと短刀が出てきた。 秋吉 短刀を枕元に? 万一の場合に備えていらっしゃったのかしら。 下重 私も初めはそう思っていたの。常に死を覚悟しながら生きていたのだろうと。でもその正反対に、短刀を眺めることで「生きていく」決意を固めていたんじゃないかと気付いたんです。 秋吉 生と死は表裏一体ですよね。 下重 それと同様、母は他に逃げ道がないから家族に尽くしてきたのではなく、自分の意志に沿って「じっと耐える」生き方を選びとっていたんじゃないかという気がしたの。内側にエネルギーをためてためて、それを生きる糧とした。セーラー服姿の私には持ちえない視点でしたね。