「死んだらどうなるの?」末期がんの母に応えられなかった後悔――いまだに「葬れない」と感じてしまう「娘側の本音」とは【秋吉久美子×下重暁子】
母と娘は「二人で一人」
秋吉 節目の年齢を迎えて思うのは「長く生きてよかったなあ」って。まだまだ達観には程遠いけど、年を重ねないと分からないことばかり。下重さんは、お母さまを葬(おく)ることができたと感じていますか? 下重 まったく。葬れていないというより、葬りたくないというのが実際のところだと思います。 やはり母と娘は「二人で一人」というところがあるのでしょう。すっかり私に同化して今も生き続けている気がしますね。だから、私が死ぬ時が本当に母が死ぬ時だと思ってる。 秋吉 実は私も一緒。ある時、誰かの視線を感じてドキッとしたら、こちらを見つめていたのは鏡に映る私自身だったの。ぽっちゃりしていた母にそっくり。とっさに下腹をへこませましたが(笑)、もはや母は私の一部なのでしょうね。 (最終回) *** 第2回【「どうして女子アナに…」とぼやかれた元NHKアナ 「理想の娘」になれなかったと明かす二人が語った「家族」【秋吉久美子×下重暁子】】では、何十年も前に看取った母といまだ訣別(けつべつ)できておらず、その根っこの部分には「理想の娘」になれなかったことが影を落としているというが――。第一線で活躍してきた二人に「家族」についてついて語ってもらった。 第1回【「妊娠を隠して1日20時間撮影」「こげ茶色のオシッコが…」“卵で産みたい”発言は、働く女性の葛藤を伝えたかった【秋吉久美子×下重暁子】】では、大々的に報道された秋吉さんの発言の真意など、男性と肩を並べて仕事にまい進してきた二人の今にも増して複雑だった「女性の葛藤」について振り返り語ってもらった。
秋吉久美子(あきよし・くみこ) 1954年生まれ。1972年、映画「旅の重さ」でデビュー後、「赤ちょうちん」「異人たちとの夏」「深い河」など出演作多数。早稲田大学政治経済学術院公共経営研究科修了。 下重暁子(しもじゅう・あきこ) 1936年生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。民放キャスターを経て文筆業に。著書に『家族という病』『極上の孤独』など多数。 デイリー新潮編集部
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