じつは、フランスで「日本のカキ」が大絶賛を浴びているワケ…疫病の大ピンチを救った、三陸《宮城種》のスゴイ生命力
ローヌ川河口の汽水域で育つ宮城種のカキ
こうして視察の旅は始まったのです。カトリーヌさんに案内されたラングドック地方は、ローヌ川によってできた、海の水と川の水が混じる汽水域が多いところでした。宮城産の種ガキをつくる万石浦と風景が似ています。 万石浦は、宮城県の北上川河口の石巻市渡波地区という内海にあります。かつての仙台藩主伊達政宗公が「この内海を干拓したら、米が一万石とれるほどの田んぼができるだろう」と言ったことからつけられた名前です。それほど広い内海です。 万石浦はノリやカキの養殖の発祥地であり、いまでも、ハゼ、ウナギ、シラウオ、ニシン、カレイ、クリガニ、アサリなどがたくさん採れるよい漁場です。なによりこの湾は、種ガキの生産に欠かすことのできない大切な海なのです。 ホタテ貝の殻に付着したカキは、そのまま海の中にさげておくと、どんどん大きくなっていきます。万石浦で採れる種ガキは、宮城県で採れるので宮城種と呼ばれています。成長が早く、病気に強く、味がよいという、三拍子そろった世界的な優良種なのです。そのため、北は北海道から、三陸沿岸、新潟の佐渡、石川の能登、三重、岡山、広島の一部、大分などの国内はもとより、アメリカやフランスで養殖されているカキもほとんどが宮城種です。 養殖法も、わたしたちと同じく海にカキをぶら下げる垂下式で、カキの姿も宮城種と似ています。聞いてみると、ルーツはやはり日本のカキだそうです。1960年代から70年代にかけて、疫病でフランス国内のカキが全滅の危機にさらされたのです。そのとき、病気に強い宮城産の種ガキが送られて、カキの養殖業者が救われたのです。 高校生のころ、かき研究所の今井先生から、宮城種をフランスに輸出したとは聞いていましたが、これほど普及していたとは知りませんでした。 「宮城種がなかったら、わたしたちは生きていけませんでした」 と、カキ養殖業者から握手を求められたのです。とてもうれしいことでした。 地元の生産者が経営するレストランでの昼食会はおおいに盛り上がりました。 「フランスと日本のカキのために!」 と、何度もシャンパンで乾杯しました。実はわたしはお酒が飲めないのです。お吸い物に入っているお酒ですら、敏感に感じ取る体質。やけ酒ならぬやけコーヒーという人間です。でも、この日ばかりは特別です。ついグラスを傾け、酔いも手伝って、地中海の青空のもとで、 エンヤードット松島のサーヨー と、宮城県の民謡「大漁唄い込み」を声高らかに響かせたのです。 …つづく「これでは生物は育たない…宮城県、三陸の「カキ養殖家」が日本の川に落胆したワケ《フランス》とはこれだけ差があった」では、日本に帰国したカキじいさんを愕然とさせた、当時の川と海の状況を振り返ります。 連載『カキじいさん、世界へ行く!』第3回 構成/高木香織 ●プロフィール 畠山重篤(はたけやま・しげあつ) 1943年、中国・上海生まれ。宮城県でカキ・ホタテの養殖業を営む。「牡蠣の森を慕う会」代表。1989年より「海は森の恋人」を合い言葉に植林活動を続ける。一方、子どもたちを海に招き、体験学習を行っている。『漁師さんの森づくり』(講談社)で小学館児童出版文化賞・産経児童出版文化賞JR賞、『日本〈汽水〉紀行』(文藝春秋)で日本エッセイスト・クラブ賞、『鉄は魔法つかい:命と地球をはぐくむ「鉄」物語』(小学館)で産経児童出版文化賞産経新聞社賞を受賞。その他の著書に『森は海の恋人』(北斗出版)、『リアスの海辺から』『牡蠣礼讃』(ともに文藝春秋)などがある。