「残業代アップ」は先生のなり手を増やすのか...みなし残業代一律引き上げ案に対して「仕事を減らして」の声
5月13日に、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会(中教審)の質の高い教師の確保特別部会が「『令和の日本型学校教育』を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について(審議のまとめ)」を取りまとめた。そこでは、昨今問題となっている教員不足の解消策に関する提言を盛り込んだ。 そもそも、この時期に、中教審がなぜこのような方策を打ち出したのか。それは、6月頃に閣議決定を予定している「骨太方針2024」にその内容を盛り込みたいという狙いがあるからだ。
しかし、この内容について、支持する教育関係者と批判する教育関係者が対立している。 ■文科省と教員が対立するとき、一枚岩となるとき 本題に入る前に、文教予算をめぐる背景について私見を示しておきたい。 文教予算は、文部科学省が所管している。そして、児童・生徒と向き合う公立学校の教員が教育現場で働いている。文部科学省と公立学校の教員がいつでも一枚岩ならば、意思の疎通も容易で不要な対立もなく教育ができる(思想信条を統一的に教育するのがよいと言いたいわけではない)。
なぜ一枚岩ではないか。単純化して言えばこうだ。 文科省は、財務省に予算要求を出して査定を受ける際に、どのようなことを成し遂げたいからいくらの予算が必要かを示さなければならない。そして、予算が認められればその通りに実施しなければならない。 教育現場で政策意図を実現してもらえるように予算を配分しようとする。時には教育現場では消極的な施策を、文科省が押し通すこともある。 他方教育現場では、公立学校の教員は文科省からつべこべ指図を受けずに自由に教育したいと考えている。文科省の言いなりになるわけではない。
こうしていつでも一枚岩ではない文科省と公立学校の教員だが、このときばかりは意見が一致することがある。それは、教員定数を増やす予算要求のときである。 公立学校の教員定数は、児童・生徒が減るのに伴い減らす仕組みとなっている。このところ、少子化で全国的に児童・生徒は減り続けている。 ただ、児童・生徒がどれほど減るかは、すでに雇われている教員が何人いるかとは関係ない。児童・生徒の減り方が大きいと、教員定数も大きく減らすことになる。そうなると、公立学校の教員にとって、教員定数を維持できるかどうかは死活問題である。