「非体験者」という希望 : 高校生が発掘した旧日本陸軍・登戸研究所の史実―風船爆弾、偽札製造に毒物による人体実験
高校生に語れなかった「人体実験」の記憶
伴は研究所内のことについて固く口を閉ざしていたが、長野県内の別荘に訪ねてきた無邪気な高校生たちの姿に、語る時が来たことを悟ったという。自著『陸軍登戸研究所の真実』(普及版、芙蓉書房出版、2010年)にこうつづっている。 「『日本はアメリカと本当に戦争したのか』と真顔で問う若者もいる。その無知を笑う前に、戦争体験者の孫の世代では、戦争はどこか遠い異国での出来事にしか感じられていないことを悟るべきかもしれない」 伴の心境を、山田館長はこう推察する。
「戦後40年以上が過ぎ、戦争のことを本当に何も知らない世代の出現が、沈黙していた人々の気持ちを動かしたことは間違いありません。いまここで語り継がなければ、あの戦争の真実が葬り去られてしまうと、危機感を抱かせた。戦争を知らない世代が、戦争当事者から貴重な語りを引き出した。これは歴史の継承方法という意味でも、非常に重要なことです」 インタビューから4年後、伴は自著『陸軍登戸研究所の真実』を書きあげた。毒物実験、電波兵器、中国経済を混乱させることを狙った偽札工作と偽札製造など、高校生たちに自ら語った証言をさらに詳しく記す一方で、子どもたちにはどうしても語れなかった「秘密」についても記している。
伴は、登戸研究所で開発に成功した毒物を使って中国で行われた人体実験、いわゆる「731部隊」の姉妹組織だった「栄1644部隊」の人体実験の現場に立ち会っていた。自著では、研究所で開発した青酸ニトリ―ルなどの毒物を注射や経口で中国軍捕虜や死刑囚に対して投与し、個々の致死量と、死に至る経過などを調査したことを克明に記している。 筆致は淡々としているものの、悔恨を交えてこう結んでいる。 <戦争の暗黒面としてこれまで闇の中に葬り去られてきたが(中略)、いまは、歴史の空白を埋め、実験の対象となった人びとの冥福を祈り、平和を心から願う気持ちでいる> 伴は1993年11月に本を書き上げた直後に急死。紆余曲折を経て、本は2001年に刊行され、登戸研究所の史実が永久に葬り去られる状況は回避された。 山田館長が言う。「戦争の『非体験者』による、見事なまでの記憶の発掘でした。高校生たちのインタビューから始まった証言の蓄積がなければ、この資料館自体、こうして形を整えることは難しかった」。