侵攻の引き金を引いたウクライナの「失策」とは、対立の根底には2つの「ロシア人像」がある
この国家言語政策基本法の廃止は、激しい反発に驚いたウクライナ政府によってすぐに撤回されたが、ウクライナ東南部の人々に政府に対する警戒感を与えてしまったのは大きな失策だったといえる。 結果としてこれが引き金となり、ロシアから支援を受けた武装勢力がドンバス地方を押さえることにつながっていったのだった。 その後、武装勢力はウクライナ東部の実効支配に至り、それぞれ「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」として独立国家の名乗りを上げたが、ウクライナ政府がこれを認めることはなく、紛争は続いた。
■プーチンが2つの「人民共和国」を承認した背景 2014年9月、ベラルーシの首都ミンスクで停戦協定が結ばれた(第1次ミンスク合意)ものの、戦闘が止むことはなかった。 翌2015年2月になってドイツのアンゲラ・メルケル首相が新たな和平計画を発表する。それを受けてロシアとウクライナ、欧州安全保障協力機構(OSCE)、ウクライナ東部を実効支配している武装勢力が停戦合意に署名した。これを「第2次ミンスク合意」という。
その後、2022年2月にプーチン大統領は両国の独立を承認し、平和維持を目的としてロシア軍を派遣した。その直後、ウクライナへの軍事侵攻が開始される。 ウクライナ東部には最先端の軍産複合体や宇宙関連企業があるのだが、これはソ連時代からモスクワが設置してきたものだ。 もしウクライナが西側寄りになり、さらにはNATOに加盟するという事態が起きれば、ロシアの軍事・宇宙産業に関する機密情報はすべて西側(とくにアメリカ)に流れてしまう。
それもプーチン大統領が2つの「人民共和国」の独立を承認した理由の一つと考えられる。
佐藤 優 :作家・元外務省主任分析官