侵攻の引き金を引いたウクライナの「失策」とは、対立の根底には2つの「ロシア人像」がある
■相次ぐウクライナからの「独立」の動き ウクライナ共和国内における自治共和国としての地位を確保していたクリミア(1996年~)は、ヤヌコビッチ政権崩壊後の暫定政権に対する親ロ派のデモが拡大するなどしたのち、2014年3月にはウクライナからの独立を問う住民投票を実施した。 その結果、9割もの人々が独立を支持。それだけではなく、ロシアへの編入を望むという流れが生まれた。ロシアはこれを受け入れ、クリミア共和国として編入された(国際的には認められていない)。
この動きに対してアメリカ、ヨーロッパ諸国と日本などはロシアを非難し、住民投票の無効を訴えたものの、具体的な軍事介入にまでは至らなかった。 なお、アメリカはこのクリミア併合以降、ウクライナに対して15億ドル以上の軍事支援を提供、その多くはウクライナ軍の近代化や兵士の訓練に費やされた。 同年春、ウクライナ東部のドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)の親ロ派武装勢力とウクライナ中央政府の間で紛争が起きる。こちらもウクライナからの独立を求めての動きだった。
※外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください この場合、マイダン革命ののちにウクライナ政府が「国家言語政策基本法」の廃止を決定したことが大きく影響しているといわれている。 ■侵攻の契機となった「第二公用語=ロシア語」の廃止 ウクライナでは公用語はウクライナ語と決められているが、普段からロシア語を使う地域に関しては第二公用語としてロシア語を使ってもいいとの決まりがあった。これが廃止されるとなると、公にはロシア語が使えなくなってしまう。
ウクライナ語を使えない公務員や国営企業の社員は職を失うことにもなりかねず、そのため激しい反発が起きて市庁舎を占拠するなどの暴動に発展したのだった。 なお、ロシア語とウクライナ語は、日本語にたとえれば共通語と津軽弁のようなものだという。文法上大きな違いはないにせよ、共通語しか知らない人が津軽弁で会話をすることは難しい。 言葉というものはアイデンティティに大きく関わってくるので非常に大きな問題である。