日本兵2万2000人が死亡した「硫黄島の戦い」で米軍を恐れさせた栗林中将の「後悔」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
三浦さんとの再会
派遣団招集日まであと10日となった9月14日。札幌での組合の会議に出席するため新千歳空港に降り立った僕は、恵庭に立ち寄った。戦没者遺児の三浦孝治さんに会うためだ。三浦さんは87歳になっていた。 僕が初めて取材した以降も父の「アトハタノム」に応えるべく毎年、遺骨収集団に参加していた。三浦さん宅はJR恵庭駅から徒歩15分ほど。僕は歩いて向かうつもりだった。が、駅に着くと、三浦さんはマイカーで迎えに来てくれていた。新千歳空港駅発の列車のダイヤを調べて、おそらくこの便に乗っているだろうと見当をつけて待っていたとのことだった。 いつもの「さかいさーん」の声と笑顔が懐かしかった。僕の遺骨収集団参加が叶ったことを我がことのように喜び「良かった、良かった」と何度も口にした。 三浦さんを訪ねた目的の一つは、硫黄島滞在中の注意事項などを聞くことだった。三浦さんはこんな話をしてくれた。 「硫黄島にはサソリがいるけど、刺されたという話は聞いたことがないです。最も気を付けなくてはならないのはムカデです。毒を持っています。それと足袋は避けた方がいい。場所によっては地熱がひどい。足の裏を痛めかねないからね」 三浦さんは20年ほど前、父と戦友たちを弔うため、小さな石碑を硫黄島に持ち込んでいた。その話は最初の取材で聞いていた。三浦少年と父の物語は何度聞いたか分からない。お父さんの石碑に僕も手を合わせたかった。三浦さんに、碑の設置場所を地図に書いてもらった。それも三浦さん宅を訪ねた大きな目的だった。