「家族が好きって感覚は理解できなかった」徳井健太が小藪一豊に1年間、精神を叩き直されたのを機に親の愛情を実感するまでの「葛藤」
こんな環境で育っているので、「家族が好き」っていう人がいるのが理解できなかった。よく、「尊敬する人は?」「好きな人は?」って聞かれて、「お母さんです」「お父さんです」と答えている友人がいましたが、みんなを笑わせようとボケているんだ、と本気で思っていました。 ── 思春期の「空腹の記憶」は忘れられませんね。家族との間に、愛情を感じなかったというのも衝撃的です…。 徳井さん:後に母が死んだと聞いても、その後、父がすぐ再婚したと聞いても、ふーん、という感じでした。とくに感情がゆさぶられることもなく、僕には関係ない、みたいな。こんなふうに、家族であっても他人、という無感情なところがあるから耐えられたのかもしれないし、だからこそいろんなものを失ってきているのかもしれません。先天的にそうなのか、後から自分を守るためにこうなったのか、いまとなってはわかりません。
■小藪さんから学んだ1年間「人を思いやる気持ちが芽生えた」 ── 徳井さんが大人になって、家庭を持ってからは家族に対する感覚は変わりましたか? 徳井さん:前妻と結婚してから、家族をいろんなところに連れていったり、子どもたちを叱ったりして親らしくやってきました。家族ってこういうものなんだろう、こうすべきだろうと僕なりに考えたんです。でも、表現するのが難しいのですが、当時はまだ、母親や妹と暮らしていた昔の感覚に近かったです。そのころ、僕には人の気持ちを思いやる言動が身についていませんでした。自分の考えが正解だと信じ、疑わなかったんです。仕事でも同じで、フジテレビの番組『ピカルの定理』のときなんて、ただのお笑いロボットみたいに、おもしろければなんでもいいと思っていて、人間じゃなかった。
── 無感情、または感情を押し込めてきた徳井さんが、変わったきっかけは? 徳井さん:35歳のとき、先輩の小藪一豊さんが僕の精神を1年間かけてたたき直してくれたんです。そこで、人の気持ちを思いやる重要性をやっと理解しました。最低限の挨拶やマナーすらも、両親が教えてくれなかったんです。 たとえば、ご飯作ってくれた相手に、「美味しい」と伝えると相手は嬉しいんだ、と初めて知りました。僕はそれまで料理をする側だったので、「美味しい」なんて言われても言われなくても、家では関係なかった。日常的に、自分の作った料理が残されてもなんとも思わなかったんです。自分でバーンって捨てて、また淡々と次のご飯を作る。だから、料理を残すのはよくないというのも知りませんでした。小藪さんには、「いただきます」「ごちそうさまでした」「あけましておめでとうございます」など、ちゃんと言うことから教えてもらいました。