「20歳で2000万円の融資を受け人生を賭けた」人気ブランド「Candy Stripper」を立ち上げた女性「ギャル最盛期に真逆のファッション貫いて」
── 進学校に通っていたそうですが、そこからファッションの専門学校に進もうと思ったきっかけは何だったのでしょう。 板橋さん:高校は、大学に行くのが当たり前という雰囲気で、私もなんとなく大学進学を考えていました。でも、いざ進路に迷って「自分が好きなものはなんだろう」とあらためて考えたときに、洋服のことしか考えていないことに気づいて。こんな洋服があったらいいなとか、雑誌を切り貼りして、このコーディネートがかわいいなどと夢中で考えていたので、大学よりも被服について学べる学校がいいかもと思い始めました。
── 好きなことを学ぼうと思ったのですね。 板橋さん:そうですね。大学より専門学校に進学したいと思い、いくつか資料を取り寄せました。そして候補のひとつだったバンタンデザイン研究所のセミナーに参加してみたんです。堅苦しくなくて、一人ひとりの個性を認めてくれるような雰囲気がいいなと思いました。 ── 進路はすんなりと決まりましたか? 板橋さん:いえ、全然。学校の先生からは「バンタンだと就職するときに高卒扱いになってしまうからやめたほうがいい」と反対されましたし、周りからも大学の被服科を勧められて。でも私は「この学校に行きたい」と譲りませんでした。親だけは「自分がやりたいことができる好きなところに行きなさい」と言ってくれましたね。
■デザイン科を選ばなかったのに服作りに熱中 ── 学校ではデザイナー科に進まれたのですか? 板橋さん:当時は自分がデザイナーになれるとは微塵も思ってもいなかったです。自分には何が向いているのかわからず、ファッション全般に携わることができそうなビジネス科に入りました。ビジネス科は、1年次はファッションの基礎を学び、2年次にスタイリストやブランドのプレス、ショップ運営を学ぶコースを専攻できる科でした。1年次は基礎となるようなデザイン画やパターン、アパレルについて学びました。2年次はプレス科を専攻し、ブランドポートフォリオを作って、ブランド構造のベースとなるコンセプトやテーマ、背景、ビジュアルイメージ作りなど、自分のブランドを想定したビジネスについて学びました。