ジーザス&メリー・チェインが語る決定的名作『Psychocandy』制作秘話
ジーザス&メリー・チェイン(The Jesus and Mary Chain)のフジロック出演を記念して、来年リリース40周年を迎えるデビューアルバム『Psychocandy』を振り返ったインタビューをお届け。伝説的シューゲイズ・デュオが、彼らの傑作の着想源となったガール・グループやポップの低迷について語る。「僕らがバンドをやりたいと思ったのは、ラジオからクズのような音楽が聞こえてきたのがきっかけだったんだ」 【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 * 即座にザ・ロネッツ「Be My Baby」と認識できるドラムパターンと、これまでに録音されたものの中で最も不快に歪んだギター・フレーズを携え、オルタナティブ・ロッカー、ジーザス&メリー・チェインは、この30年で最もコピーされたロックンロール・サウンドの一つの基盤となるものを録音した。このグループが「Just Like Honey」で示した混沌と静寂の融合、そしてこの曲で幕を開けるアルバム全編――バンドの1985年の傑作『Psychocandy』である――は、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやブラック・レベル・モーターサイクル・クラブ、ア・プレイス・トゥ・ベリー・ストレンジャーズやその他のインディ志向の反逆児たちの作品に鳴り響いている。その耳障りなサウンド――「Never Understand」「You Trip Me Up」といったシングルではリズム・ギターが鳴っているのか? あるいは単なるフィードバックなのか?―-は、ジーザス&メリー・チェインが後続のアルバムでは決して再現することがなかったものだ。 本誌は、常にユーモアたっぷりのジム・リードを捕まえ、バンドがいくつかの制御不能なギター・ペダルでいかにして全英を―-その後、世界を――ひっくり返したのか語ってもらった。 * ―『Psychocandy』を作っていた時の最も鮮明な記憶といえば? ジム:覚えているのは、僕らがレコーディング工程にかなりプロフェッショナルな姿勢で臨んでいたことだ。おそらくは、僕らがぐでんぐでんに酔っ払ってスタジオに雪崩れ込んでレコードを作った、みたいなことをみんな想像するだろうけど、当時のスタジオにはアルコールもドラッグも無かったんだ。僕らはスタジオ入りし、出来る限りいいレコードを作ろうと作業を始めた。後年のレコーディングは、あぁ、酷いものになっていったけど、あの当時は僕らにはかなりプロフェッショナルな職業倫理が備わっていたんだ。 ―アルバムの曲を書いていた頃にはどんな音楽を聴いていましたか? ジム:パンク系のものはメリー・チェインに多大な影響を与えていたよ。その後はヴェルヴェッツやストゥージズに真剣にのめり込んだ。80年代は当時の音楽シーンの動向にはあまり興味がなかったんだ。あの頃、僕らに吐き気を催させなかったバンドは、ザ・バースデイ・パーティやエコー&ザ・バニーメンぐらいだった。実際のところ、僕らが他ならぬバンドをやりたいと思ったのは、ラジオからクズのような音楽が聞こえてきたのがきっかけだったんだ。「どうして聴こえてくるもの全てがあんなにも酷いんだ?」って感じだったからね。それが主たる原動力だったんだ。酷い代物だったということがね。 ―具体的には、どんなクズがあなたをイラつかせたのでしょう? ジム:パンク・シーン隆盛の時期、NMEは僕らにとってのバイブルだったんだけど、ある号を買ったら表紙がキッド・クレオール&ザ・ココナッツだったんだ(笑)。「これは酷い……。これは間違っている!いったい何が起こっているんだ?」と思ったのを覚えているよ。そして、ニュー・ロマンティックスの連中やその類いのくだらないものもそうだ。僕らは思ったよ「どうも物事が間違った方向に行っていて、僕らがそれを覆さなければいけない」って。 ―なんと大きな十字架を背負うことに。 ジム:あぁ、僕らは事態を改善したと思うよ。 ―アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンからも影響を受けていたというのは本当ですか? ジム:あぁ。彼らがロックドリルやチェーンソーなどで古い洗濯機を鳴らしてレコードを作るなんて驚きだよ。ある意味、僕らのギター・プレイに対する姿勢は少し似てるかもしれない。バンドを始めた時、僕らはほとんど演奏できなかったんだ。ある意味それはギターをより興味深い方法で使うことになる。どう演奏すればいいか分からない時、それは音楽ではなくノイズになるからね。