令和のBLのスゴさを目の当たりに…「もはや暗喩としてのキスではないか」ドラマ『未成年』に見る“恐るべきアップデート”とは《本日最終回》
「同性愛は、思春期における一時的な感情」という言説の嘘
そして何より特記すべき素晴らしさは、多感な「未成年」の、思春期ならではの悩みやゆらぎ、心の動きをこれでもかというほど繊細に表現していること。それは、「同性を好きになる」という点においてもです。だれかに恋愛感情をいだいたり、性的な魅力を感じたりする思春期。本作では同性愛が主題の映画を鑑賞した際、水無瀬は蛭川に「俺達って、同性愛者なのかな」と聞くシーンがあります。 蜷川はそれに対して「今俺のこと好きって言った?」と笑っておとぼけ。性的指向をわざわざ確認するようなシーンは、ただのBLとしてのファンタジーではなく、現実と接続された描写としてとてもよかった。わざわざこの台詞があったのは「同性愛は、思春期の一時的な感情」という言説がいまだにあることを踏まえてのことでしょう。 最初にこの説を提唱したフロイトは、同性愛を異性愛に対して「未成熟」なものとしていました。日本でも長い間、心理学の本から新聞・雑誌の相談コーナーまでずいぶん使われてきました。思春期の自身の同性愛的感情に気づき、勇気をふるって打ち明ける相談者に、「君は異常じゃないよ、ただ思春期の一時的な感情でやがて異性を好きになるよ」と回答する。もちろん現在において、その回答は間違いです。 サブタイトルに「未熟」とあるのも、もしかするとフロイトの説を意識してかもしれません。それを下敷きにしつつも、「不器用に進行中」としている。世間から未熟といわれても、それを跳ね返すかのように現在進行系で強く生きている当事者はたくさんいる。そのことを考えさせられます。 「世の中には三種類の人間がいる。加害者。被害者。そして傍観者」。これは本作の水無瀬のモノローグとして語られた言葉です。この三者はいろんな場面で存在してしまう。三者を生まないようにするためには、自分を大事にし、相手も大事にして、よりよい人間関係を築くことが何より大事です。視聴者も、観ているだけではただの傍観者。でも、その先に進むのであれば「理解者」になれると思うのです。 BL作品を見てファンタジーをただ消費するのではなく、その先、現実のセクシュアリティマイノリティーたちのことを知り、社会のことをもっと理解できるようになる人が増えるとより目が肥えて、それに応えるように作品の質がより上がる。だからこそ私たちはちゃんと理解者になっていきましょう。そんなことを考えさせられる良作。二人がお互いの気持ちを確認し合うことになるであろう、最終話にも期待です。
綿貫大介