アメリカ育ち、マルチリンガルの「グローバル人材」帰国子女が面食らった、あまりにも「日本すぎる」企業文化
若手社員はなぜ会社を辞めるのか? 入社して数年で、あるいは30代前後で転職を経験した人たちを、元新聞記者のライター、韓光勲氏と小山美砂氏がリレー連載の形で紹介。「若手社員が辞める理由」と「辞めた若手社員はどこへ行ったのか」を明らかにしていく。(JBpress) 【本記事の写真】Mさんのカナダでの自宅近くの公園。週末は公園で散歩を楽しむ。 (韓光勲:ライター、社会学研究者) 連載第3回目は、転職を2回経験しているMさん(30歳女性)に登場してもらおう。Mさんは筆者の大学1年生の時からの友人だ。一般教養の授業が一緒だったことから仲良くなった。Mさんは韓国人男性と2年前に結婚し、筆者は結婚パーティーにも参加した仲である。 Mさんは大阪府生まれ。父親の仕事の都合で、3歳から小学校4年生まで、アメリカのテキサスで過ごした帰国子女である。中学・高校は関西学院千里国際中等部・高等部に通った。この私立学校は英語教育が充実しており、Mさんの英語力はさらに磨かれた。中学生の時には英検1級を取得している。 大学は大阪大学外国語学部のスペイン語専攻に進んだ。スペインに留学し、スペイン語も流暢に扱う。英語・スペイン語に加え、Mさんは韓国語にも堪能だ。大学2年生のときに第二外国語として学び始め、韓国のテレビ番組にハマったことがきっかけで深く学ぶようになった。 ■ 合わなかった「上下関係にうるさい企業文化」 そんなMさんが就職したのは2017年4月。新卒で入った会社は総合電機メーカーだった。「就活は苦手だった」と語る。素直なタイプのMさんは、面接の場で聞かれた質問に正直に答えていたらよく落とされた。外国語学部生は「商社かメーカーか」という雰囲気があり、「商社は合わない」と考えたMさんはメーカーに絞った。「グローバル採用」を始めていた総合電機メーカーの採用を通過し、就職が決まった。
いざ入社すると、独特の雰囲気の研修にいきなり面食らった。企業理念の斉唱を繰り返し求められただけではなく、「会社に入ってやりたいことを全力で叫ぶ」という研修があったのだ。「研修に集中すること」を理由に携帯電話を取り上げられ、外部とのコンタクトは閉ざされた。研修が終わった後も、企業理念は毎日斉唱しなければならなかった。Mさんは「あれは洗脳だったね」と当時を振り返る。 配属されたのは本社のマーケティング部署。本社は地方にあり、車なしでは生活できなかった。ただ、当時は同僚と仲が良く、週末はキャンプや温泉巡りをして楽しく過ごしていたという。 とはいえ、配属されたマーケティング部は希望していた部署ではなかった。「グローバルな部署に行きたい」という希望は叶わず。「仕事内容そのものはやりがいがあり、学びもあったが、カルチャーが『日本』過ぎてしんどかった」という。上下関係にうるさい企業文化だった。上司はMさんを「お前」呼ばわりしたかと思うと、社長が来たらゴマをする。会社の中での等級が細かく定められているなど、独特のタテ社会に強烈な違和感を覚えた。 Mさんはアメリカで幼少期を過ごし、中学・高校もグローバルな環境で育ったため、上下関係のないフラットな人間関係に慣れていた。先生や先輩にもタメ口で話すような雰囲気の学校に通い、敬語を使うのを覚えたのは大学で吹奏楽部に入ってから。大学の厳しい上下関係には当初カルチャーショックを受けたという。 部署変更を希望し、2年目は貿易関係の部署に回された。だが、この部署はさらに「ドメスティック」(国内向け)だった。物品を輸入する際の関税率を計算して、書類を日本語で作ることが主な仕事で、机の上での事務作業がほとんど。社交的な性格のMさんに合わないのは明らかだった。