トニ・モリスン、イーユン・リー、J・M・クッツェー…『百年の孤独』の次に読む外国文学
西ヨーロッパ
(『中央公論』2025年1月号より一部抜粋) さて、ここからは具体的に現代海外文学の作家や作品を見ていこう。今回は地域のバランスを踏まえながらも、僕が実際に読んで面白かったものを選んだ。その上で、海外文学の知識がさほどなくても気軽に楽しめるものに絞った。さらに現在普通に書店で入手できるもののうち、できる限り文庫本を優先した。 まずは西ヨーロッパの作家たちである。何よりもカズオ・イシグロを薦めたい。5歳で日本からイギリスに渡った彼は、もはや現代イギリスを代表する存在と言っていい。代表作『日の名残り』(ハヤカワepi文庫)は、戦前に貴族の屋敷に仕えていた執事が主人公である。かつての主人はとても高潔で徳の高い方だったと彼は語るが、徐々にその話は破綻し、実は主人がナチスに加担したファシストだったことが判明する。しかも、愛する女性に正直になれず、彼女を手ひどく傷つけてしまったという執事自身の過去さえも明らかになるのだ。捏造された過去という点では、日本を舞台にした初期の二作『遠い山なみの光』(同前)と『浮世の画家』(同前)も素晴らしい。小津安二郎や成瀬巳喜男といった監督の映画から、イシグロが脳内で再構築した過去の日本が、奇妙なほどノスタルジーを掻き立ててくれる。 フランス文学ではミシェル・ウエルベックを薦めたい。代表作『地図と領土』(ちくま文庫)は、現代社会のむなしさを存分に描き出している。主人公であるジェドは、ミシュランの地図を撮影した作品で一躍有名アーティストの仲間入りを果たすが、それにはミシュラン社の全面的な支援があった。ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズが対話している様子を描いた絵画などで次々と話題をさらい、彼の作品はすさまじく高額で取引されるようになる。しかし、このようにしてつかんだ世界的なアーティストとしての地位も、彼にとっては限りなく空虚なものでしかなかった。 さらにナチス統治下のチェコを舞台としたローラン・ビネの『HHhH』(創元文芸文庫)は、驚異的に面白かった。スパイ小説で得た知識だけを頼りに、ナチス内で出世し、ユダヤ人絶滅政策の責任者にまで成り上がったラインハルト・ハイドリヒを、チェコの抵抗組織が暗殺しようと奮闘する。ヨーロッパの暗い歴史を正面から見据えた本書は、ミステリーと純文学が融合した上質なエンターテインメントになっている。 ドイツ文学では、ノーベル文学賞受賞直前とも噂される多和田葉子がいい。ちょっと待ってくださいよ、彼女は日本人でしょう、とお思いかもしれない。だが早稲田大学を出た後すぐにドイツに渡り、現在はドイツ語と日本語の両方で執筆している彼女は、今や押しも押されもせぬドイツの作家である。全米図書賞を受賞した『献灯使』(講談社文庫)に登場する日本は、再び鎖国状態にあり、外国語を使うことが禁じられている。その一方で環境破壊が進み、老人たちは極端に長生きするが、若者たちは全員が病弱で短命だ。このような状況を少しでも打破するために、人々は子どもたちを密かに外国へ送り出す。それが献灯使だ。果たして日本は真の意味で開かれた社会を実現できるのか。 イタリア文学ではアントニオ・タブッキはどうだろう。『レクイエム』(白水Uブックス)は、フェルナンド・ペソアの研究者でもある彼が、イタリア語ではなくポルトガル語で書き上げた作品である。この作品で主人公は記憶の中に存在する、もはやこの世にいない人々と出会う。たとえば、既に癌で亡くなったはずの父親が20歳の青年として現れる。時間が行きつ戻りつする本作を読みながら、私たちは現実とは別の形で存在する過去の人々との出会い方を学ぶ。 (『中央公論』1月号では、この前半に20世紀以後半以降の外国文学に起きた変化を解説し、続く後半で西ヨーロッパに加え、ロシア、東欧、北米、中南米、アジア、トルコ、アフリカの各地域でまず読むべきおすすめの作家と作品を紹介していく。) 都甲幸治(早稲田大学教授・翻訳家) 〔とこうこうじ〕 1969年福岡県生まれ。東京大学大学院修了。専門はアメリカ文学。著書に『今を生きる人のための世界文学案内』『世界文学の21世紀』『教養としてのアメリカ短篇小説』。訳書に『勝手に生きろ!』『塵に訊け!』『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』など。