6歳で「小学校に行かない」と決めて何が起きたか 校長と教委がやって来て…両親の反応は
「学校へ行け」「勉強しろ」と言われたことは一度もない
近所の人や親戚、周りからは「変わった子どもで大変だな」という目で見られていたかもしれません。母は亡くなった父方の祖父からも、厳しい言葉を投げかけられていたそうです。 それでも、母や父から、「学校に行きなさい!」「勉強しなさい!」と一度でも言われた記憶はありません。「学校、行ってみない?」と聞かれたこともありませんし、それどころか、私を心配するそぶりもありませんでした。私の不登校や教育方針を巡って、両親がケンカしているところも見たことがありません。 こう書くと、「教育に無関心な親」だと思う方もいるかもしれません。でも、教育的ネグレクトということではまったくなかった。「自分の好きなことをやりなさい」「自分のやりたいように生きなさい」。特に母は、それが子どもにとって大事なことだと考えていたのです。
“ゲーム”“公園”“お絵描き”三昧の「毎日が夏休み」
「小学校に行かないで、毎日何をしていたの?」。そんな質問をよくいただきます。 普通に通学していた人からすると、不登校の子どもの一日はイメージがしづらいかもしれません。学校に行かない生活というのは、朝起きてから夜寝るまですべてが“自由時間”です。言ってみれば「毎日が夏休み」。 朝8時、9時くらいに起きたら朝ごはんを食べて、まずゲームをします。午前中のゲームは少しだけにして、その後は外に遊びに行きます。遊び場はいくらでもありました。近所の公園や駄菓子屋はほとんど毎日行く場所でした。 近所の同世代の子どもたちはみんな学校に行っているので、基本はいつもひとりです。自転車に乗って公園に行って、ぐるぐる歩き回ってみたり、キレイな形の石を拾いに行ったり。公園の帰りに駄菓子屋に寄ると、買い物に来ている近所の人に「あれ? 学校はどうしたの?」なんて、心配されたり、驚かれたりすることもありました。
寂しいと思ったことは一度もない
外から帰ってきて、昼ごはんを食べたら、本格的にゲームの時間が始まります。子どもの頃の私はとにかくゲームが好きで、時間さえあれば延々とやっていました。そのほとんどがRPGです。 「ファイナルファンタジーVI」や「クロノ・トリガー」といった超名作を毎日何時間も、時には晩ごはんも食べずに夢中になりやっていました。 それでも両親は、「ゲームばっかりしてないで!」と、私を咎めたことはほとんどありません。徹底して、「やりたいように生きる」ことを認めてくれました。世代的にはちょうど「遊☆戯☆王」や「ポケットモンスター」といったトレーディングカードゲームが流行していました。ゲーム好きの私としては、ちょっと興味はあったのですが、何せいつもひとりなので“対戦相手”がいません。 ですから私の楽しみ方は、カードを買って、並べて眺めること。よくよく見てみると、同じキャラクターでも色々な絵柄があったり、レアなカードにはホログラム加工がされていたりして、見ているだけでも面白かったのです。ちょっと寂しそうにも思えるかもしれませんが、私としては何をしていても「楽しい」という気持ちが上回っていて、寂しいと感じたことはありませんでした。やりたいことがたくさんあり過ぎて、毎日が日曜日でも足りないくらいでした。 *** この記事の後編では、引き続き『不登校クエスト』(飛鳥新社)の内容より、不登校だった内田氏が音楽の道を志すようになる「きっかけ」となった、2人の著名な作曲家について取り上げる。