【89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉⑥】10年先の自分を思い描いて努力する!
10年後にどうなっていたいかを描いてみる
「東京での生活は日暮里にある実母の弟である叔父の家で、居候としてスタートしました。継母の春治は自分の兄である、私の養父を山形に置いて上京することに反対でしたので、最初は彼女に知られないようにしていました。 渋谷にある東京高等美容学校の夜間部に入学し、昼間は一人暮らしの家計費を捻出するために保険の勧誘セールスの仕事に就きました。断られて当たり前の仕事ですが、根っから明るく前向きな性格なので、断られてもへこたれず、住宅街の個人宅をこまめに訪問しました。そんな頑張りが主婦層に気に入られ、額は小さくても地道に成績を伸ばしていきました。 夜は美容学校の授業だったのですが、ほとんどが髪結いの技術や美容衛生法などの講義ばかり。期待していたお化粧方法の授業はほとんどありませんでした。美容師の国家試験を受けるための基本的な勉強ばかりだったのです。 それでも夜は友だちと歌声喫茶で歌ったり、休みの日には新劇の舞台を見るなどして、『私は芝居のメイクの専門家になる』という希望を捨てませんでした」
これはその頃の小林さんの写真だ。 「人生には度々、うまくいかないことや思いがけないことが訪れます。 実は十数年前、ラジオ番組でともに出演していたアナウンサーの若い女性ががんになりました。そんな彼女に私は『10年後に何になっていたいか、考えながら過ごすといいわよ』と声をかけました。多くの人が彼女にかけた言葉は、『ゆっくり治療してね』といったことばかり。私の発した『10年後』という言葉は衝撃的だったようです。 そして目の前の治療のことで頭がいっぱいで、希望の持ちようがなかった彼女は、それまで忘れていた夢を思い出したのだそうです。 10年後の未来に目が向いたことで、治療への不安が消え、焦らずじっくりと療養して、みごとに病気を克服したのです。今ではそのときの夢を実現し大活躍。結婚の報告とともに、お礼のメッセージが届きました。その方は現在、40代後半でしょうか…。 お話は20歳の頃の私に戻ります。 未来の『こうありたい』という思いを抱えながら、2年後、無事に美容学校を卒業しました。しかし、まかれた夢の種はまだまだ発芽する気配はありません。それでも、10年後の夢に向けて、就職へとステップを進めることになります」