道長の暗部をすべて背負い、最期まで政に生きた母・詮子逝く…彰子の将来も影響?【光る君へ】
吉高由里子主演で、『源氏物語』の作者・紫式部(ドラマでの名前はまひろ)の人生を描く大河ドラマ『光る君へ』(NHK)。7月28日放送の第29回「母として」では、まひろも含めて、母となった女性たちのさまざまな変化や葛藤が描かれた。そのなかでも藤原詮子と藤原彰子の「Wあきこ」に注目してみた(以下、ネタバレあり)。 ■ 詮子の「四十の賀」がおこなわれるが…第29回のあらすじ 一条天皇(塩野瑛久)の母で、藤原道長(柄本佑)の姉・詮子(吉田羊)は、天皇が愛した皇后・定子(高畑充希)の遺児・敦康親王(高橋誠)を、自分たちの人質とするために、道長の娘である中宮・彰子(見上愛)の元に置くよう、道長に提案。 一条天皇も「定子様のご鎮魂にもなります」という道長の説得に応じ、親王は彰子に養育されることになった。やがて詮子の「四十の賀」がはなばなしくおこなわれるが、その席で詮子が発作を起こす。 思わず駆け寄る天皇を「病に倒れた者に触れ、穢れともなれば政はとどこおりましょう」と制止した詮子は、みずからが追い落とした甥・藤原伊周(三浦翔平)の位を元に戻すことで、その怨念を鎮めようとするが、ほどなくして世を去った。 久々に天皇のもとに出仕した伊周は、「清少納言」ことききょう(ファーストサマーウイカ)が定子との美しい思い出を書き記した草子を、天皇に献上するのだった・・・。
道長のダーティな部分を引き受けた、姉・詮子
藤原道長を、多くの人が考えていたような「野心あふれる辣腕政治家」ではなく、元カノが望む「理想の世」を実現するために、ただまっすぐ政に向き合う好青年に設定した『光る君へ』。そのキャラクターと、実際の道長の出世コースがブレずにいられるのは、道長のダーティな仕事のほとんどを、別の人の発案ということにしたおかげと言える。主にその役割を負ったのは、陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)と、道長の姉・詮子だ。 以前にもコラムで記したが、詮子は女性として初めて「院号宣下」を受けるなど、かなり政治的な立ち回りが上手かった女性であり、藤原実資(秋山竜次)も日記のなかでグチるほど、政にも積極的に関与していた。 自分の国母の立場を利用して、道長をトップに立てたという史実はもちろん反映されたが、「道長の策略」と思われてきた伊周&隆家(竜星涼)兄弟の失脚も、『光る君へ』では詮子が黒幕だったということにして、道長くんのクリーンなイメージを守ることができた。 そしてこの第29回では、定子の息子・敦康親王を彰子に預けることで、彼を道長サイドに取り込むという奇策も、詮子発案という流れに。しかもそこで「人質」という、かなりエグい言葉を使ってきた。 これは詮子自身、息子の一条天皇を実家に連れ帰り、円融天皇(坂東巳之助)を牽制する・・・という、父・兼家(段田安則)の計略に乗った経験があったので、道長が言い出すよりも、説得力がありありだったのは否めないだろう。そしてあれほど恨んだ父と、まったく同じ手を使って家を守ろうとしたことにも、業を感じざるをえない。 そんな風に、道長の暗部をすべて引き受けてきた詮子の退場によって、道長のクリーンさを保っていた防御の壁の一つは、大きく崩れたと言える。さらにもう一つの、安倍晴明という大きな壁も去っていったときに、道長はようやく「この世界は俺の世界だ」という傲慢な歌を、詠むよねこいつなら! と思えるような存在となるのかもしれない。もしそうなったときには、今回の詮子の死を「すべてはここからはじまった」と、振りかえることになるだろう。