29歳で突然の社長就任、売上げが前年比6割に急落 「3人の父」のサポートで立て直した「必死のパッチ」の事業承継 ~日本広告企業後編
電車や駅構内、ビル、道路サイドの広告「ロケーションメディア」の老舗企業・日本広告企業(本社・大阪市)の日根野谷裕一社長は、前社長の祖父の急逝により、29歳で会社を引き継ぎ、地元・大阪から東京への進出を進めた。若き社長ゆえの苦労や周囲のサポート、「アナログ」なロケーションメディアの将来像について聞いた。 【動画】「3人の父」のサポートで立て直した「必死のパッチ」
◆急落した売上げ、それでも10年かけて
――幹部社員が退社するとお客様も減ったのではないですか。 私が社長就任直後の決算では売上高は前年の6割ほどまで減りました。 一方で私や残った社員が一丸となってスポンサー様を訪問することで、一旦は離れられたスポンサー様の中には戻ってくださったところも多数あります。 社長就任3年後には東京支店を開設し、新たなマーケットを創造し、売り上げを何とか確保していきました。 社長になって19年目ですが、売上高が就任前のレベルに戻すまでに10年近くかかってしまいました。
◆苦難を助けてくれた「3人の父親」
――その苦しい間、どのような方のサポートがありましたか。 人に恵まれたと思っています。特に「3人の父親」にはお世話になりました。 一人目は、「お前がやってみろ」と私の背中を押した実父です。 父は一人の経営者として広告産業にいます。 起業家として会社を興し、今も経営者を続けています。 自分の経験も踏まえ、とても多くのアドバイスをしてくれました。 二人目の「父親」は、私が社長になった時、スポンサーや仕入れ先、同業者に挨拶回りをしました。 その中の一人です。 ある同業の広告会社社長から「困ったことがあったら相談に来なさいよ」とおっしゃっていただきました。 その社長は祖父であった前社長と昵懇だった方で、「前の社長から俺が教えてもらったことは全部、お前にちゃんと引き継ぐ」と、何かにつけて私をサポートしてくださりました。 同じ業界ですから似た課題を抱えており、有意義なアドバイスをいただきました。 とてもありがたい大先輩です。 もう一人は妻の父、義理の父です。 お祖父さんから会社を引き継ぎ、今は会長として経営されています。 全く違う業界の会社なので「広告業界はここがおかしいよね」と客観的な問題点を指摘していただき、非常にありがたく思っています。