乳がんステージ4の50代新米記者が語る仕事論「いい意味であきらめが肝心」
「安静に」と言われるのがつらい 働くことが生きる意欲につながった
━━復職してから、がん患者であることで不都合はなかったのでしょうか 最初は6時間の制限勤務だったのですが、そこが困りましたね。帰れっていわれても、仕事が終わらないんですよね。自分もやらないと嫌だし、早く済ませたい。制限勤務なんで給料も少ないわけですよ。すごく窮屈でしたね、逆に。復帰してすぐに出張したいと言ったときも上司に「バカヤロウ」って言われましたが、それぐらい働きたくて仕方がなかったです。 ━━働ける喜びみたいなものに浸っていた 働くことが、大げさに言うと、生きようという力、モチベーションにつながってました。何もしなくていいとか、安静にしてなさいっていうのは、死んでいなさいというのと同じぐらいにつらい。がんは、人にもよるんですが、安静にしなければならないというものでもないんですよね。内臓のがんだったら、無理したらきついとかってあると思うんですけど、乳がんで私は転移は骨だったので、臓器が痛んでるわけではなかったんですね。ちょっと不思議なんですけど、元気でした。 亡くなった小林麻央さんも外出するたびに「何で治療に専念しないのか」とバッシングされてましたが、行けるんなら絶対外に行ったほうがいいと思いました。外食だって気分転換になりますし、買い物だって気分が上がると思います。つらくなければですけどね、なんでもできるならやったほうがいい。
思いがけなく開けた記者の道 「私にしかできない」仕事にやりがい
━━記者への異動は希望されたのですか? 全然希望していなかったんですが、異動のきっかけになったのが、復帰した当時、生活報道部の受け持っているくらし面で書いた闘病記です。先輩に勧められて書いたのですが、記事に、読者の方から沢山お手紙を頂いて。ちょっと人の役に立てたなという実感がありました。それを書いていなければ、上司から「記者にしてみよう」とは、思われなかったかもしれないですね。 私が当事者として書けば、また少しは人の役には立てるかなという気持ちはありましたね。がんは私でなければ書けないと皆さんが言ってくださいます。半分義務としても書かないといけない。がんを、私の特色のひとつとして捉えているということかもしれないですね。そう捉えたほうが、私は生きやすい。 ━━記者になって生活は変わった?夜遅くまで働いているイメージがあるが。 あまり変わらないですね。うちの場合は社会部や政治部ではないので、なにか事件や事故が起こって動くわけではないですから。自分のテーマを持って、自分のペースで書いていけるところは強みですね。割とお子さんがいらっしゃる記者も多いですし、そういう意味では働きやすい部署ですね。夜勤もやっています。22時まで会社で待機。最初は「三輪さんはがんだから」って外されてたんですけど、普通に飲みに行ったり仕事してたりするのをみて、「出来るなら悪いけどやってください」ってなって、私も全然いいですよって。そのほうが逆に楽なので。 ━━本の編集者から記者になり、どういったことにやりがいを感じているか 編集者の場合は、自分のしたことが本という形になりますけど、すごい売れる本を作れていなかったからなのか、読者の反応ってあんまり分からないんですよね。記事の場合は、記事に対してダイレクトに反応がくるんです。中には、共感だけではないんですけど。それでもちゃんと読んで、いろいろ感じてくれるんだなっていうのは嬉しいです。反応が大きい、ということは、がんについて、自分が思うより、皆さん分からないことだらけなんだなと思います。 ━━ちなみに今のご自身のがんの状況はどうなんでしょうか ずっとそんなに広がらずにいたんですが、昨年暮れ、残っていた骨のがんが広がり、座骨を骨折したんです。がんの「再燃」というらしいんですが、がん細胞の活動が活発になっているようです。ただ、新しい薬に切り替えたので、おかげさまで数値は下がっています。