県庁所在地と名前が違う県は「"賊軍"の藩が多い」説は本当か?
■その後も続いた「賊軍」の悲劇 「賊軍」とされた側は、単に地名が変わっただけでなく、大変な悲劇を被っています。日本が統一するために、あれほどまで死ななくてもよかったのじゃないか、と思います。その後の明治は薩長中心の政府になっていきますから、東北というだけでものすごく差別されました。 筋を通した会津藩が「賊」と呼ばれて滅亡させられてしまう理不尽さ…。会津に生まれた少年、柴五郎が後年書いた手記は、涙なくしては読めません。中公新書で簡単に読めます。どうしてこんな悲劇が起きてしまったのか、痛切に語っています。 石光真人編著『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』(中公新書、880円) 明治維新に際し、朝敵の汚名を着せられた会津藩。降伏後、藩士は下北半島の辺地に移封され、寒さと飢えの生活を強いられた。明治三十三年の義和団事件で、その沈着な行動により世界の賞讃を得た柴五郎は、会津藩士の子であり、会津落城に自刃した祖母、母、姉妹を偲びながら、維新の裏面史ともいうべき苦難の少年時代の思い出を遺した。 この本を読むと、薩長中心の明治政府が成し遂げたことも大きいのですが、犠牲もあまりに大きくて、それも東北など「賊軍」の地域に非常に偏っていることを考えると「歴史はすごく残酷だ」と感じます。 「勝てば官軍」という言い方をしますが、日和見の藩も一気に「官軍」のふりをして生き延びた、そんな社会がこの後広がっていきます。「賊軍」という言葉から、いろいろなことが見えます。一番わかりやすいのは半藤一利さんの『幕末史』ですので、ぜひ読んでみてください。 ■◎神戸金史(かんべ・かねぶみ) 1967年生まれ。毎日新聞入社直後に雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。ニュース報道やドキュメンタリー制作にあたってきた。やまゆり園障害者殺傷事件やヘイトスピーチを題材にしたドキュメンタリー最新作『リリアンの揺りかご』は各種プラットホームで有料配信中。
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