県庁所在地と名前が違う県は「"賊軍"の藩が多い」説は本当か?
■「賊軍」藩名を採用しなかった明治政府 明治になって、廃藩置県(1871年)が行われ、3府(東京・大阪・京都)と302県が置かれます。261の藩はすべて県に変わりました。お殿様はそのままトップ(知藩事)になるのですが、すぐに全員が首を切られ、一気に72県まで減らされ統合していきます。この廃藩置県こそが、明治維新の一番すごいことなんです。権力構造ががらりと変わっていきます。 明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、宮武外骨が1941年に出した『府藩県制史』という本には、こう書いてあります。新政府軍に忠勤を励んだ大藩がある県には藩の名を付けていますが、錦の御旗に刃向った”朝敵藩”や、日和見であいまいな態度だった”曖昧藩”の地域では、県名には藩名をつけず、郡・山・川の名を県名としたのだそうです。 ※注:宮武外骨は、「其府県の名称に斯くまで順逆を表示した史実の存することを、何人も知らずに、ここ七十年を過して来たのは実に迂潤の次第であった、これも国体明徴の史実として、早速小学校の教科書にも入れねばならぬ程の事であろう」と書いています(『府藩県制史』94ページ)。 ■西日本に多い”忠勤藩”はすべて県名に 白地図に、書き込んでみました。北海道(蝦夷地)と沖縄(琉球国)を除き、県名と県庁所在地の名前が違うのは、島根県(松江市)、岩手県(盛岡市)、私の故郷の群馬県(前橋市)など15県あります。 ただ、栃木県(宇都宮市)と山梨県(甲府市)、滋賀県(大津市)の3県は、小さい藩がたくさんあって、県名が賊軍によるものかどうか、判別は困難と言います(ジャーナリスト・半藤一利さんの見解)。 明治維新に功績があった大きな藩、”忠勤藩”とされているのは9つ。秋田を除いて西日本に集中しています。確かにどの県名も藩の名前と一致していました。 【忠勤藩 9藩】 鹿児島藩→薩摩国に鹿児島県 山口藩 →長門国に山口県 高知藩 →土佐国に高知県 福岡藩 →筑前国に福岡県 鳥取藩 →因幡国に鳥取県 広島藩 →安芸国に広島県 岡山藩 →備前国に岡山県 秋田藩 →羽後国に秋田県 佐賀藩 →肥前国に佐賀県 (ただし佐賀だけは翌年に旧伊万里県を改称して復県) 記入した白地図を見ると、県名と県庁所在地名が違う県は、かなりの確率で”朝敵藩””曖昧藩””徳川一門”で、明確に分かれているとわかります。