県庁所在地と名前が違う県は「"賊軍"の藩が多い」説は本当か?
ここには出ていないのですが、最もひどいのは会津藩です。全国で唯一、廃藩置県じゃなくて「滅藩」、つぶされてしまいました。それから、この映画の舞台にもなった「新潟県」の長岡藩。長岡にゆかりのあるジャーナリストの半藤一利さんは「当時の新潟は小さな港町で、長岡県にしたくなかったからと言わざるを得ません」(『幕末史』394ページ)と憤っています。 ■「賊軍」なのに同一の県名 その理由は ただし、いくつかの例外があります。「福島県」「山形県」は県庁所在地名と同じですが、「同盟軍」側です。しかし、山形藩も福島藩も戊辰戦争後に配置替えされて、もうそこにはなかったのです。その後に県が新設されたので、旧藩と直結していないと宮武外骨は言うのです。 福島藩 明治元年に三河国に移封(重原藩) 山形藩 明治3年に近江国に移封(朝日山藩) 徳川御三家では、名古屋藩が「愛知県」、水戸藩が「茨城県」と、県名と違います。福井は徳川一門の有力な松平家があった藩ですが、「石川県」と「滋賀県」に分割され、なくなっています。その後、石川と滋賀から分割されて「福井県」を作り直しています。だから、ここも松平家の福井藩とは関係がありません。静岡には、明治政府が徳川家を江戸から配置しました。明治新政府が作った藩なのです。だから静岡は県庁所在地名が県名に残っている、と宮武外骨は分析しています。 【徳川一門】 名古屋藩 愛知県(名古屋) 郡名 水戸藩 茨城県(水戸) 郡名 福井藩 石川県と滋賀県を分割して再配置 静岡藩 恭順した徳川宗家を新政府が配置 ただ、紀州徳川家の和歌山藩だけが唯一、県と名前が一緒です。この理由について宮武外骨は「戊辰戦争の折にいち早く情報を得て、叛意がないとすぐ伝えたから」「紀州出身の14代将軍家茂に皇室から和宮が嫁いでいること」が理由では、と推測していますが、私にはよく分かりません。この和歌山を除いては、宮武外骨の説明は納得がいくのです。