2回の留年で大学中退の危機…早稲田でお笑いにのめり込んだ小島よしおの大学時代「それでも卒業してよかった」と今振り返る訳
■お笑いサークルで運命的なメンバーとの出会い ── 在学中は、大学のサークルでコントグループ「WAGE」を結成。メンバーとして活躍されていたそうですね。お笑いをはじめたきっかけを教えてください。 小島さん:入学するとさまざまな部活やサークルの新入生歓迎会などがあり、いろんなところに行きました。そのひとつが岩崎う大さん(現・お笑いコンビ かもめんたる)が入っていたキャンプサークルだったんです。当時、う大さんは、キャンプサークルとお笑いサークルをかけ持ちしていました。
僕は目立ちたがり屋だったので、参加したキャンプサークルのお花見でも調子がいいことばかりやっていたんですよね。それを見ていたう大さんが「お笑い好きなの?」って声をかけてくれたんです。「お笑いサークルやってるから来なよ」って言ってくれたので観に行ったら、めっちゃくちゃおもしろくて。そのお笑いサークルが「WAGE(Waseda Academic Gag Essence)」でした。う大さんはお花見のときは隅に座ってるだけの目立たない人だったんですけど、お笑いしている姿がすごく魅力的に見えました。
芸能界にはもともと興味があり、タレントスクールのオーディションや登録制のエキストラとかも受けたりしてましたけど、今思うと誰でも受かるオーディションなんですよ。入塾テストみたいなもので。受かってから登録にお金がかかるシステムで、結局、僕にとっては高額でどこにも入れませんでした。そんな経験もしていたので、サークルは無料でお笑いに関われるのというメリットもあって入ることにしました。
■留年確定で母に相談も「卒業だけはして」 ── 在学中から事務所にも所属することになるわけですが、どのような経緯があったのでしょうか? 小島さん:当時の早稲田にはお笑いサークルが3つくらいあって、なかでもWAGEの、う大さん・森さん(現・脚本家森ハヤシ。WAGEのリーダー)たちがつくるコントが事務所から評価されていて、芸能事務所に所属する話が出ました。当時WAGEには15人くらいいたんですけど、事務所的には5人に絞ってくれという話で、う大さんはじめ3名が決まり、残りの2枠を決めるなかでたまたま僕が選ばれました。つまり、事務所的には誰でもいいという枠ですね。