『光る君へ』で道長と対立<三条天皇>。和泉式部を愛人にした弟二人は早逝。すけ子と四男二女をもうけ、18歳下の妍子とも結婚を…「地味な東宮」の即位が宮廷に何をもたらしたか
◆冷泉系の皇族に見られた<自由人の気風> なお居貞の弟である為尊や敦道は、20代で早逝しています。あるいは居貞も早く亡くなってくれ、と周囲から思われていたのかもしれません。 余談ですが、居貞の同母弟でもある為尊と敦道は、下級貴族の娘である和泉式部(ドラマでは泉里香さんが演じている)をともに召人<恋人>にしていたりと、奔放な生活で知られています。 花山天皇といいこの兄弟といい、どうも冷泉天皇の血を引く皇族には、規範にとらわれず、スキャンダルも気にしない自由人の気風があったように思います。 一方、周囲の貴族たちから見ると、彼らには何をするかわからない危うさがあるが、けれども村上天皇の嫡男・冷泉天皇の血統なので無視もできない。 そのため道長は深入りしない作戦を取り、周囲の貴族たちも道長をはばかって娘を皇太子妃にはしない…という状態だったのかもしれません。 道長の日記、『御堂関白記』にも東宮・居貞親王が出てきます。 たとえば道長が金峯山にのぼった時にも、冷泉上皇、一条天皇、中宮彰子とともに、東宮のためにも納経をしていますが、どうも型どおりのお付き合いという感じで、深い付き合いがうかがえないのです。 居貞の東宮大夫として有名なのは道長の異母兄の藤原道綱。ドラマでは上地雄輔さんが演じていらっしゃいますが、このいささか頼りない兄にまかせっきりにしていたようです。
◆居貞親王と妻・すけ子 居貞親王には心を許す友も少なかったのではないでしょうか。その様子は、東宮時代に詠んだこういう和歌からもうかがえます。 ーーー 月かげの山の端分けて隠れなばそむくうき世を我やながめむ(新古今和歌集) (月が隠れるようにあなたが出家してしまったら、あなたが捨てた憂き世に私は取り残され、悩んで生きることになるのでしょう) ーーー これは信任していた少納言藤原統理が出家した時に詠んだものですが、東宮と思えない居貞のわびしい心情が歌われているのです。 このように一条朝の居貞はどうも「地味な東宮」になっていたようです。 一方、居貞には別に妻がいました。それが大納言藤原済時の娘、藤原すけ子(すけの字は女偏に成)です。 父の済時は道長の祖父・師輔の弟にあたる、左大臣師尹の子。 済時は道長から見ると父の従兄弟というかなり遠い親戚でしたが、道隆の飲み友達で、相前後して亡くなっています。そのため、すけ子のバックは弱かったのですが、居貞との間になんと四男二女の子供ができました。 あまり前例のないことですが、この一家は道長政権の中心からやや距離を置き、両親と子沢山な核家族として、それなりにゆったりとした日々を送っていたのではないでしょうか。 しかし、そんな暮らしが一条天皇の死去によって一変します。
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