小学校の運動会は「午前だけ」の時代~姿を消した"風景"を書き残してみた
家族と一緒に昼食も
運動会当日は、教室でのホームルームの後、それぞれが教室で座っている椅子をグラウンドに運んだ。トラックを取り囲むように、各学年と各クラスのエリアが決まっていて、そこに椅子を置いて運動会に臨んだ。児童たちの後ろは、応援にやって来た親たちの立ち見スペースだった。愛知県名古屋市の場合、運動会は平日の開催だったが、給食はなく弁当を持参した。家族が来校していた場合は、昼食時間、一緒に校庭などで食べることが認められていて、何だか"特別な日"という空気感だった。
「玉入れ」の玉は手作り
競技についての思い出では、低学年で参加した「玉入れ」の玉が思い浮かぶ。赤と白、2つのチームに分かれて、棒の先に付けられた籠(かご)に玉を投げ入れて、最終的に入った数を競う。この玉は、それぞれが家庭で作ってもらい、2個ずつを持参した。布袋の中に小豆や大豆などを入れて縫い合わせる。しかし、大きさの基準などが曖昧だったためか、それぞれが持参した玉の大きさがバラバラだった記憶がある。投げている間に、糸がほどけて豆が飛び散ったこともあった。手作りならでは、何とも微笑ましい思い出かもしれない。
姿を消した競技「騎馬戦」
運動会は全校の児童や生徒が参加しての一大イベントだったため、上級生の活躍には目を見張った。特に中学校時代、下級生の立場として、最上級生が全員参加しての「騎馬戦」は見応えがあった。3人が"馬"を作り、その上に1人が乗り、4人1組で「騎馬」を作って相手の帽子を奪い合うのだが、実に迫力ある競技だった。スケジュールでも午後のメインどころに置かれていた。そんな「騎馬戦」も現在では、競技メニューから姿を消した。「危険なため」というのが理由だが、「棒倒し」や「組み体操」も同じらしい。最近では、運動会発祥の時代からずっと行われてきた「徒競走」も、次第になくなっているようだ。こちらの理由は「勝ち負けで優劣をつけないため」。全体に「勝ち負け」がつかないように、運動会自体を赤白で対抗するのは廃止する動きもあるという。時代は変わった。