船の名前はどうして「丸」が多いの?→研究者の支持する「説」が興味深い
多くの船が「~丸」と名付けられているのはなぜか。多くの研究者は、“マロ”が室町時代頃に“マル”に変わった「愛称説」を唱える。※本稿は、国立国語研究所編『日本語の大疑問2』(幻冬舎新書)の、小椋秀樹による執筆箇所を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 男子の人名「麻呂」が 男子の幼名「丸」へと変化 日本語の疑問 船の名前はどうして「丸」が多いのですか 小椋秀樹先生の回答 独立行政法人海技教育機構の練習船は「日本丸」「海王丸」「大成丸」「銀河丸」「青雲丸」と、すべて名前に「まる(丸)」がついています。そのほかにも、横浜・山下公園に係留され、展示されている「氷川丸」など、たしかに、船の名前には「まる(丸)」のつくものが多くあります。 この“マル”の語源については、古くから諸説ありますが、いまだ明らかになってはいません。ただ、それらのなかでも、比較的多くの研究者の支持を得ているものに「愛称説」があります。これは、男子の幼名などに用いられる“マル”をその起源とするものです。 男子の幼名の“マル”は、室町時代から用いられるようになった語ですが、もともとは「まろ(麻呂)」という語で、上代から男子の人名に用いられていました。室町時代頃に“マロ”から“マル”へと語形が変わり、主として男子の幼名に用いられるようになりました。さらに、この頃には、楽器、武具など人の名前以外にも用いられています。「愛称説」は、その“マル”が船の名前にも用いられるようになったとしています。 以下、「愛称説」で船名の「まる(丸)」の起源とされる“マル”という語の歴史(語史)を見ていきましょう。 まず“マロ”が人名に使われた例としては、有名な万葉歌人である柿本人麻呂、高橋虫麻呂などがあげられます。そのほかにも、奈良時代の遣唐使で吉備真備らとともに唐に渡った阿倍仲麻呂など数多くあげることができます。
● 室町時代に“マロ”が “マル”に変わった このように人名に多く使われていた“マロ”ですが、平安時代になると、人名以外に用いられた例を見いだすことができます。たとえば、『枕草子』(1000年前後)「うへにさぶらふ御猫は」には、 蔵人忠隆なりなか参りたれば、「この翁丸(おきなまろ)うち調じて、犬島つかはせ、ただいま」と仰らるれば (現代語訳:蔵人の忠隆となりなかが参上したので、「この翁丸を打って懲らしめて、犬島(宮中の犬を追放した場所)に追いやれ。今すぐ」とお命じになるので) とあるように、「おきなまろ」という名前の犬が登場します。そのほか、名前に用いた例ではありませんが、平安時代末期の歌謡集『梁塵秘抄』(1179年頃)には、 茨小木の下にこそ、鼬が笛吹き猿舞で、稲子丸(いなごまろ)賞で拍子付く (現代語訳:茨の小さな木の下で、イタチが笛を吹き、猿が舞を舞い、イナゴは心を引かれて、拍子を打つ) と、“イナゴ”に“マロ”を付けた“イナゴマロ”という例が見られます。これは、“イナゴ”に“マロ”を付けることによって、親愛の情を表したものです。 室町時代頃には“マロ”は“マル”へと変化しました。このオ段音からウ段音へという変化は、アカトキ→アカツキ、アトラフ→アツラフなど類例を多くあげることができます。“マロ”から“マル”へと変化するとともに、“マル”は、おもに幼名に用いられるようになりました。『平治物語』(1220年頃か)に、 雪の中に捨てられて、「正清は候はぬか。金王丸(こんわうまる)はなきか。」と召けれどもなかりけり。 (現代語訳:雪の中に置去りにされ、「正清は控えていないのか。金王丸はいないのか。」とお呼びになったが、返事はなかった。)(下・頼朝青墓に下著の事) とあるのがその例です。