【長嶋茂雄は何がすごかったのか?】 『プロ野球ニュース』の名司会者・佐々木信也が語る"ミスタープロ野球"<前編>
佐々木 同じ野球選手だから話題になるのは野球のことだと思うでしょう。僕は高校時代に甲子園で優勝しているから何か聞かれるかと思ったら、何もない。あの頃の長嶋は口数が少なくて、ほとんどしゃべらなかったんです。 部屋にいる時は、ほとんど寝ている。マニラにいる間は、野球をしているか、食べているか、寝ているかでした。日本が優勝して帰国する時になって、こう言うんですよ。「佐々木さん、市場に行って果物を買って帰りませんか」と。 ――当時、果物はかなりの貴重品ですね。 佐々木 熱帯でしか収穫できない果物がたくさんありましたから。ホテルの人に案内役としてついてきてもらって、パパイア、マンゴー、バナナをしこたま買い込みました。羽田空港に着いて、果物をふたりで分けようと思っても、長嶋は入れるものを持っていない。だから、羽田空港に迎えに来てくれたうちのおふくろが持っていた風呂敷に包んで持たせました。 それが上等なものだったもんだから、おふくろはしばらく「あの風呂敷を戻してもらってない......」とぼやいていました(笑)。「あの長嶋なんだから、もう諦めろ」って僕が言ってね。 ――その時の日本代表では、長嶋さんが三塁手で、佐々木さんが二塁手ですね。 佐々木 ゲッツーの時、サードから送られてくる球が速くてねえ。グラブをはめた手が腫れあがるほどでした。「シゲ、いいかげんにしろ。手加減しろ」と言うんだけど、ものすごいボールを投げてくる。 長嶋は力の加減ができないからしょうがない(笑)。すべてが全力投球です。それもどこに投げてくるかわからない。本当に肩が強かった。あんなすごい送球をするのは長嶋だけでしたよ。 ――長嶋さんは大学2年生の秋に打撃開眼をして、2年後の秋季リーグ戦で東京六大学の通算本塁打記録を塗り替えることになります。長嶋さんの打撃についてはどんな印象を持っていますか。 佐々木 バッティングは見事。いい振りをしていて、とにかくシャープでした。読売ジャイアンツでクリーンナップを組んだ王貞治は典型的な長距離ヒッターでした。分類するならば、長嶋は中距離ヒッターと長距離ヒッターの間くらいだったかな? 打球の鋭さは相当なものでした。相当、バットを振り込まないと、あんな打球は打てない。 ――長嶋さんはルーキーイヤーの1958(昭和33)年に打.305、29本塁打、92打点、37盗塁。2年前にプロ入りしていた佐々木さんはプロでもそんな成績を残すと想像していましたか。 佐々木 大学時代から、野手ではひとりだけ飛び抜けていましたからね。プロ野球でも当然、活躍するだろうと見ていました。立教大学の時からそれだけの実力がありました。 長嶋は自分の世界というか、スタイルを持っていたから、まわりの選手が長嶋に合わせていった。その分、大変だったのがショートを守る広岡達朗さん(巨人)ですよ。 ――ショート正面のゴロまで、長嶋さんが飛びついて捕ったという伝説がありますね。