<義経=チンギスハン説>は本当にトンデモなのか?両者に共通する「時代」と「強さ」とは…可能性を徹底検証
◆義経がモンゴルを征服できたのか 源義経一行がモンゴル高原に行けたとしても、彼らがモンゴル高原を支配することはできたのか。 ただし、これもゼロではないのだ。 圧倒的武力を持っていれば、ある文明を破壊させることや従わせることは可能である。実際、南米の高度に発達したインカ帝国を、スペインのピサロは、いとも簡単に征服した。 はたして、義経一行の武力は圧倒的だったのか。それを考えるにあたって、チンギス=ハンの強さの秘密に迫ってみるとわかりやすい。 チンギス=ハンの強さはなんだったのか。その第一は騎兵である。騎馬軍団の強さである。そして、奇抜な戦術にあった。これが初期のチンギス=ハン軍の強さを支えた。 これは、まさに義経軍の強さと同じだ。 鵯越(ひよどりご)えの戦いで義経は、平家軍の真後(うしろ)にある絶壁から騎馬隊を率いて駆け下り、虚を突いて勝利を収めている。 騎馬の巧みな捌きと卓越した(想像を超えた)戦術を取っていたのが義経である。義経がチンギス=ハンであってもおかしくないし可能性はゼロではない。 ただし、その強さの一致はただの偶然と考えることもできる。 それに、後世の創作だとはいえチンギス=ハンの出自 (しゅつじ)を綴っている『元朝秘史(げんちょうひし)』や『集史(しゅうし)』と、「義経はチンギス=ハン」説はどう折り合いをつけるのか。それらの出自をまったくの創作として乱暴に片付けてしまうのか。 この義経=ジンギスカン説には弱点は多い。決定的証拠はない。ただし、まったくの出鱈目(でたらめ)だと片付けてしまうのも乱暴かもしれない。 ※本稿は、『あなたの知らない日本史の大常識』(宝島SUGOI文庫)の一部を再編集したものです。
日本博識研究会