北海道東北端の無人島の情景、野生化した馬の生態を描く―岡田 敦,星野 智之『エピタフ 幻の島、ユルリの光跡』本村 凌二による書評
北海道東北端にある根室の沖合に浮かぶ周囲8キロメートルの無人島ユルリ。上陸するだけでも根室市役所の許可がいる。しかし、かつて人が住んでいた時期もあり、彼らが島に運び込んだ馬の子孫が今もそこで生きているという。人影がまったく消え去った島の草原を馬たちが自由に駆け回っている幻の島である。 芸術学博士でもある優良な写真家の著者は、そこで出会う情景を、十年近く撮りつづけてきた。また、かつてそこに住んでいた人々との対話をおりまぜながら、野生化した馬の生態を描き出す。 この本を読みながら思うのは、ユルリ島に残された馬たちは幸福であるのか? という問いかけである。現実のユルリ島では、繁殖を抑えるために、雄馬は間引きされ、雌馬だけの群れができる。歳月を経れば、無人島の馬は絶滅する。だから、馬だけが暮らしている島は、いずれ幻のエピタフ(墓碑銘)しか残らない。 最後の住民にとって「人が間違ったことをしさえしなければ、馬はいつだって優しくて従順で、頼りになったんだ」という。2023年度JRA賞馬事文化賞に輝く美しく気品のある作品。 [書き手] 本村 凌二 東京大学名誉教授。博士(文学)。1947年、熊本県生まれ。1973年一橋大学社会学部卒業、1980年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、2014年4月~2018年3月まで早稲田大学国際教養学部特任教授。 専門は古代ローマ史。『薄闇のローマ世界』でサントリー学芸賞、『馬の世界史』でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。著作に『多神教と一神教』『愛欲のローマ史』『はじめて読む人のローマ史1200年』『ローマ帝国 人物列伝』『競馬の世界史』『教養としての「世界史」の読み方』『英語で読む高校世界史』『裕次郎』『教養としての「ローマ史」の読み方』など多数。 [書籍情報]『エピタフ 幻の島、ユルリの光跡』 著者:岡田 敦星野 智之 / 出版社:インプレス / 発売日:2023年06月7日 / ISBN:4295016543 毎日新聞 2024年1月27日掲載
本村 凌二
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