池田屋事件で名を馳せた記憶 東海道、中山道の合流・分岐点の宿場町に残る面影 誠の足跡 新選組を行く
本陣には土方ら誰かの忘れ物も残されている。筒型(縦17・5センチ、横3センチ)の煙管(きせる)入れと、それを入れる木綿の袋(同、横5センチ)。《新選組様五月九日御泊壱番間ニ御失念物》と記された和紙の付箋(ふせん)がつけられていた。
岩間一水(かずみ)館長(57)は「実はこれは重要な発見でした」と説明する。もともと、大福帳で新選組の利用は確認されていたが、他の客の欄にはある「宿(泊)」「休(憩)」の記載がなかったためだ。「忘れ物の付箋によって、新選組が宿泊していたことが確認されたのです」
約30年前から建ち始めたマンションが、近年にわかに増えているという本陣周辺で木村さんが語る。
「当時、新選組は池田屋事件で戦功をあげ、中小から上場企業になる過渡期のような時期。新入隊士を引き連れ、『新たな新選組を作っていくんや』と希望にあふれた旅だったはず」
ところどころにかつての面影がある旧宿場町には、新選組の志が静かに息づいていた。
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草津宿本陣は耐震工事のため、来年3月末まで休館中。本陣の主だった品は、草津宿街道交流館で観覧でき、7月17日~9月中旬(月曜休館)は新選組ゆかりの忘れ物などが展示される(観覧料が必要)。
偶然の発見だった「忘れ物」
新選組の忘れ物が見つかったのは、偶然だった。
「大変なものが出てきた、すぐに来てください」。平成31年3月25日、当時草津宿本陣の館長だった八杉淳さん(65)は女性学芸員からの電話で、本陣の土蔵に駆け付けた。
この日、学芸員は文化庁職員とともに文書調査のため、土蔵内の確認作業中だった。たんすの引き出し内にあったのは、付箋がついたお守りや鍵など18点。本陣利用者の忘れ物だった。
その中の一つ、煙管入れは付箋に「新選組」の文字。150年を経ての発見に「本当に驚きました」と八杉さんは振り返る。
煙管入れは誰のものか-。付箋に忘れ物の発見場所として記載されているのが「壱番間」だが、どの部屋かはわかっていない。