大根仁が語る「地面師たち」と「演出家の仕事」 「50代以降は誰かのためになるような仕事をしたい」
そもそも演出家としての自分は、総合格闘家みたいなものだと思っていて、キックがダメとか寝技がダメというルールならそれに従いますし、何でもありならそれに相応しい試合をするだけ。そういう意味でNetflixは、限りなく何でもありに近い環境でしたよ。
フィクションの中で悪行を魅力的に描くことの倫理観
――本作は犯罪ものであり、企業ものでもあり、刑事ものでもあるという、ジャンルのミックスが感じられました。
大根:これまで自分はストレートな犯罪ものや企業もの、刑事ものをやったことがなくて、いつかそういうジャンルもののミクスチャーはやりたいと思っていたので、「地面師たち」の原作小説を読んだ時に、この作品ならできると思ったんですよね。
――ジャンルのミクスチャー感だけではなく、それぞれのシーンや描写ごとに、ここはリアルに忠実に、一方で、ここはファンタジックに、というような加減もミックスされているように見えました。
大根:おそらく原作小説の段階でもそういったイメージを持って書かれていたと思います。著者である新庄耕先生は、事件のことを散々調べた結果、実際の事件や現実がどうだったのか、例えば、詐欺師たちがどんな服装で、どんな場所に集まっていたかとかは、ある程度分かってはいたはずで。ただ、エンターテインメントである以上、Netflix作品であるということも含めて、そのへんのリアルを追求することだけが正解なのか。もちろん、シーンによってはリアリティーを重視した部分もありますが、ケイパー(犯罪映画のサブジャンル。泥棒、詐欺などを犯人側の視点で描くのが特徴)ものならではのケレン味だったりの見せ方の方を意識した部分も多くあります。
ただ、青柳のキャラクターは原作からもだいぶデフォルメしたのですが、実際に不動産会社で働いている知り合いが観たあとに連絡をくれて、「ああいうやついました」って(笑)。なので、いくらデフォルメしてファンタジーに寄せたとしても、ちゃんと刺さるものはあるんだろうなと思いますね。それは「半沢直樹」とかの、僕が勝手に「サラリーマン時代劇」と呼んでいる作品も同じで。