「20歳下の紫式部と結婚」藤原宣孝のトンデモ求愛 父の為時と同僚関係、越前には宣孝の手紙も
式部の返事が冷たいのは、宣孝がどうにも信用ならないからだ。式部は、宣孝が同時に、ほかの女性にも声をかけていると知っていたらしい。「あなた以外にいない」という宣孝に対して、式部はこんな歌も詠んでいる。 「みづうみに 友よぶ千鳥 ことならば 八十の湊に 声絶えなせそ」 近江の湖で友を呼ぶ千鳥さん、それならいっそ、いろんな湊(みなと)で声を絶やさず、あちこちの女に声をかけたらよいでしょう……。 冒頭の「みづうみに」は、宣孝が近江守の娘にもアプローチしていたことを受けてのもの。女好きの宣孝には呆れるばかりだが、あしらいながらもきちんと返歌をしていることから、式部もどこか恋の駆け引きを楽しんでいるように見える。
■2年足らずで越前をあとにして京へ そして式部は長徳3(997)年の年末から長徳4(998)年の春にかけて、父の為時を残して単身で京へ向かう。越前での父との生活は、2年足らずでピリオドが打たれた。 すでに結婚を決意しての上京だったらしい。長徳4(998)年の冬には、式部は宣孝と結婚している。 京での新しい生活のスタートだ。どんな日々が待っているのかと、式部は不安と期待に胸を膨らませたに違いない。だが、その先に待っていた激動の展開は、想像力豊かな式部をもってしても、とても予見できなかったことだろう。
【参考文献】 山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社) 倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館) 今井源衛『紫式部』(吉川弘文館) 倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書) 関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書) 繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房) 真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
真山 知幸 :著述家