【サッカー日本代表 板倉 滉の「やるよ、俺は!」】第27回 板倉 滉が「プロ」になった瞬間。1年目の苦悩
今や、北中米W杯アジア最終予選では安定した守備で絶対的な存在の板倉。だが、川崎フロンターレのトップチームに加入した1年目の出場機会はゼロ。どん底からどう這い上がったのか、そのプロセスを聞く。 ■高かったプロの壁と苦悩の〝10円ハゲ〟 ここのところ、得点感覚が着実に研ぎ澄まされているように感じる(日本時間10月31日・DFBポカール杯2回戦、対フランクフルト戦での左足ボレーによるゴール)。 ただ、僕自身はDFなので、あくまでチームを勝利に導くオプションのひとつとして役立ちたいという思いに尽きる。 今回のテーマはプロ1年目の記憶。入学1年目、あるいは入社1年目、壁に当たって苦労する人は多いと思う。僕も公式戦デビューを飾るまでは1年半ぐらいかかり、とてつもなく長い、苦闘の日々を過ごした。 長く暗いトンネルを抜け出すにはどうしたらいいのか、自分の経験を振り返りながら考えてみたい。 川崎フロンターレのトップチームに加入したのは2015年。高校時代、ユースに在籍しながら、トップチームのキャンプにも参加したことはあったけど、昇格を確信していたわけではなかったし、何より小さい頃から在籍したクラブでのトップチーム入りということで、念願のプロ加入となった。 当時は一日でも早く試合に出て、憧れの選手たちと共に活躍したいと意気込んでいた。 だが、キャンプでの数日間はしょせん〝体験イベント〟に過ぎなかったことを痛感させられる。いざ練習に参加したところ、まったくついていけなかったからだ。 まず、プレースピードが格段に違っていた。技術や判断力も想像をはるかに超えていた。何もかも必死で、情けないぐらい動けない。パスのタイミングを外そうものなら「おまえ、ここはユースじゃねえんだぞ!」と(中村)憲剛さんから烈火のごとく怒られた。 「ミスしちゃダメだ」と変に緊張してしまい、ますます自分を抑制していく。それまでの自分ならば難なくこなせた場面でもミスを連発。おびえに近い感情が湧き、完全に負のスパイラルへ陥った。そんな調子だから、当然紅白戦にすら出られず、チームでは最底辺をさまよった。 しばらくすると、いよいよ朝を迎えるのがつらくなった。「今日も練習か......」と、ストレスがピークに達して、 〝10円ハゲ〟ができたことも。自分がみじめだった。