『ジョン・ウィリアムズ/伝説の映画音楽』少年の心を抱いたまま大人になった天才作曲家の回顧録
自分の才能にうぬぼれることのない人格者
言うまでもなく、ジョン・ウィリアムズは天才である。そして筆者のような超凡人は、必要以上に常人とは異なるエピソードを天才に求めてしまう。「ピアニストのグレン・グールドは、父親に作ってもらった椅子以外では決して演奏しなかった」みたいな、奇天烈エピソードを欲しがってしまう。 しかし、『ジョン・ウィリアムズ/伝説の映画音楽』にそのようなエキセントリック小噺は皆無。アレックス・ノースがスタンリー・キューブリックからの依頼で『2001年宇宙の旅』(68)の作曲を手がけたものの、完成作品を観たら全て既存のクラシック音楽に全て差し替えていて激怒したとか、『引き裂かれたカーテン』(66)の音楽の方向性をアルフレッド・ヒッチコックが細かく指示したにも関わらず、バーナード・ハーマンはそれをガン無視するような曲を納品したために絶縁状態になってしまったとか、そのようなトラブルも聞こえてこない。 名門ボストン・ポップス・オーケストラの指揮者を務めた際に、ジョン・ウィリアムズ曰く「映画音楽を見下していて演奏したがらない」団員がいたために退任…というエピソードが唯一のいざこざ系だが、6週間後には関係性を修復して復帰しているから、大きなシコリにもなっていない。映画音楽界で最も有名なレジェンドが、「気まぐれで気難し屋」というステレオタイプ的天才ではなく、「誰からも愛される人格者」である事実に、筆者は逆に驚きを感じてしまう。 しかもジョン・ウィリアムズは、最初から映画音楽に対して偏見を抱いていなかったし、映画音楽家である自分に迷いを感じていなかった。ジュリアード音楽院でピアノを学び、ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせた彼は、やがて作曲家の道を歩み始め、自然な形でテレビや映画に関わることになる。彼と双璧をなす映画音楽家エンニオ・モリコーネが、アカデミックな音楽ではなく商業音楽ばかり作り続けていることに葛藤していたのとは大違いだ(このあたりはドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』(21)に詳しい)。 ジョン・ウィリアムズは、メンター的存在のアンドレ・プレヴィンから「自分の音楽をやりたいならハリウッドを出たほうがいい。商業映画は時間の無駄だ」と諭されていた。驚くべきことに彼は、アンドレ・プレヴィンほどの才能があれば映画音楽はやらなかっただろうと回想する。これが本心なのか謙遜なのかは分からない。だが少なくともジョン・ウィリアムズは、ハリウッドこそが自分を輝かせてくれる場所であることを信じていた。映画を生き生きと躍動させる劇伴を作ることが、自分にとって最良の道であると信じていた。 いっさいの偏見を抱かず、自分の才能にうぬぼれることのない人格者。決して唯我独尊にならず、相手の意見には真摯に耳を傾ける。ジョン・ウィリアムズの音楽をジョン・ウィリアムズたらしめる最大の要因は、彼のそんな資質によるところが大きいのかもしれない。