父の死後、会社を継いだ30代の社長が絶句、急に態度が豹変した、50代の「悪口取締役」のまさかの末路
「O田は、多分、父に仕えたかったんです」
2週間後、再び面談をしたN村さんはすっきりした顔をされていました。 「先生、O田が辞めました。始末書を書くくらいなら辞めるって、翌日辞表を持ってきました。恥をかかされたと思ったんでしょうか」 あっけないほどあっさりと、O田さんはP社を去ることを決めたそうです。N村さんはその結果を喜んでいましたが、私は少し複雑な気持ちでその報告を聞きました。 私としては、解雇権濫用のリスクを回避できたことはよかったのですが、役員になったO田さんの役員報酬は決して安いものではありません。50代後半という年齢を考えても、再就職の道はそう簡単ではないことを考えると、O田さんも会社に対する不満をもともと抱えていたことも想定されるからです。 「退社に際して、送別会などは開かれましたか」 「もちろんです。古株の社員ですし、職人からの信頼は厚かったので……O田さんを辞めさせないでくれ、と直接言ってきた社員もいました。周囲の目には僕が辞めさせたように見えたんでしょう。S原のせいだと言う社員もいるようです」 「S原さんへのケアも必要ですね。O田さんからN村さんへの謝罪はありましたか?」 「まったく。……O田は、多分、父に仕えたかったんです。僕じゃなくて」 だから、遅かれ早かれこうなったんだと思う、とN村さんは語りました。 企業の秩序を守るためには、一定の規律が必要であることは間違いありません。特に役員は率先して会社の事業成長に向けて進むべき存在であり、経営者としてのN村さんと、その方針を支えるS原さんを尊重し一員として協力的な態度を示すことが求められます。 一方、事業承継などのタイミングでは、旧来の社員と新しい経営者との間で認識の違いや立場の変化への適応が困難になることが多々あります。このような場合、新たに就任した経営者は既存の社員の感情にも配慮して事業を運営していくことが求められます。 先代の社長から頼りにされていたO田さんでしたが、代替わりした自分よりも年下の社長が改革を行うことで、長年の経験をないがしろにされたと不満を抱いてしまったのかもしれません。O田さんにとっては、そうした不満を周囲に漏らしていただけと思い込んでいた可能性があります。 しかし、企業・経営者と目指す方向性が異なっていることが懲戒処分を受けたことで明確になり、結果として退職に繋がってしまいました。